2009年1月

八岐之大蛇の逆襲 チェ 28歳の革命 007 慰めの報酬 日本の夜と霧
アラビアのロレンス ワールド・オブ・ライズ 感染列島 大怪獣出現
将軍家光の乱心 激突 駅 Staition 日本の黒幕<フィクサー> ロボット大襲来
地球が静止する日 252 生存者あり 秋刀魚の味 晩春

八岐之大蛇の逆襲


日時 2009年1月25日14:00〜
場所 グリソムギャング
監督 赤井 孝美
製作 昭和60年(1985年)

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出雲地方で古生物を研究する教授はある銅版を発見する。
その銅版にはヤマタノオロチらしき巨大生物とスサノオらしい人間が
描いてあった。
この銅版を確認してもらうため、京都から美人学者がやってきた。
発見された山に行き、銅版と同じ大きさのスペースを発見し、その
スペースに銅版をはめ込むと美人学者は姿を消してしまう!
そして怪獣ヤマタノオロチが山の中から登場した!
それはなんと2000年前に地球にやってきた宇宙人たちの地球攻撃
兵器で、美人学者はその操縦士にされてしまったのだ!

85年製作の学生自主映画制作集団「ダイコンフィルム」製作の特撮怪獣映画。
「ダイコンフィルム」とは当時大阪で行われたSFマニアのイベント
「大阪コンベンション」の略「大コン」=「DAICON」=「ダイコン」に
上映される映画を作っていた集団。
このメンバーが後の「エヴァンゲリオン」などを製作するガイナックスの
母体になったそうだ。
庵野秀明が出演し、樋口真嗣が特殊技術にクレジットされている。

映画自体はもう役者が素人演技全開でとにかく稚拙。
もう完全に学生自主映画のレベル。そういうわけだから映画全体としては
お寒いのだが、特撮のレベルはとにかくすごい!
ミニチュアの作りこみがすばらしく、もう最近の「ウルトラマン」とか
「ゴジラ」をはるかに超えている。

どうすごいかというとコンビニをヤマタノオロチが壊すカットがあるのだが
雑誌棚にある雑誌まで作りこんである!
トークイベントで当時の製作スタッフだった現ガイナックスの神村さんから
聞いたのだが、雑誌は当時の雑誌のバックナンバーなどの表紙絵が出ている
ページから切り取って作りこんだらしい。
恐れ入る。

他にもそういう作りこみだけでなく、戦車が何台も動き出すカットで画面奥の方
の戦車が動くだけでなく、キャタピラの部分しか写らないが手前を通過する戦車
も写る、そして遠近感を出すというセンスのよさ。
また戦車軍団がアーケードの商店街を抜けるのだが、アスファルトなら割れないが
アーケードのタイルは戦車では割れてしまう。
そこまできちんと表現し、ちゃんとタイルが割れていくのだよ。
もう「タイルが割れるカットが欲しい」から「戦車が商店街を通過する筋立てにした」
という感じの展開。すごい!

85年というと私も自主映画を撮っていた頃。
もちろん私の映画はこの映画に比べれば稚拙で恥ずかしい映画なのだが、同じ時代に
こんなにレベルの高い仕事をしていた学生がいたことがショックでした。
私もこの映画の製作にかかわりたかったなあ。

グリソムの懇親会ではなんとこの映画の特撮にタッチした樋口真嗣監督も参加!
学生時代の映画制作の話が中心でZC1000の話で盛り上がりました。
ZC1000と言うのはフジの8mmカメラの最高機種。
当時の自主映画を作っているメンバーには憧れの機種でしたね。

あの頃、映画を撮っていた時代にもう少し大学を超えた交流をしていれば人脈も広がり、
違う人生もあったのかな。
まあその辺はわかりませんけどね。

ただ自分が映画制作の道に入っても多分ろくな映画を作れなかったと思いますんで、
映画制作を商売にしなかった選択は結果的には正しかっただろうと自分で自分を
納得させております。



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チェ 28歳の革命


日時 2009年1月25日9:50〜
場所 新宿ピカデリー
監督 スティーブン・ソダーバーグ

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チェ・ゲバラと言う人については私は全く無知。
キューバと言えばカストロ議長でもう一人のゲバラってどういう人?
っていう感じだった。
その伝記映画をみて簡単にその生涯について勉強しよう、という
魂胆で鑑賞。

フムフムそういうことですか。映画を見ている間中ずっとそんな感じ。
映画の始まる前に私のような無知な観客のためにチェ・ゲバラについての
予備知識を南米大陸の地図付きで解説してくれるショートフィルムが
流れる。
もちろん配給会社が私のようなバカに合わせてつけくれたのだろう。
感謝する。

ストーリーが解りづらいとか聞いていたけどそんなことはありません。
キューバに上陸したゲバラたちがだんだんと首都を目指して進軍していく話です。
まあこういう結びつけは邪道かも知れないが、これは「アラビアのロレンス」
ですね。
自分の国でない外国の自由と独立のために戦う外国人青年、ってまるっきり
ロレンスじゃないですか。
今回はロレンスで言えばアカバを占領したあたり、革命が成功しつつある
ところで終わり。

ゲバラが進軍していく様子が説明され、なるほどなるほどそうですかという
感じで話は解ったが、あんまり感動というか心を動かされるところはなかったな。

しいて言えば一人の兵士が「仲間からからかわれてバカにされている感じだ。
なんとかして欲しい」という訴えを聞いて仲裁に乗り出すシーン。
そうですね、リーダーは仲間をまとめなきゃいかん。
その点が日本の「連合赤軍」とは違う。
チェ・ゲバラの人間的な懐の広さをちょっと感じるシーンでした。



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007 慰めの報酬


日時 2009年1月24日19:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 マーク・フォースター

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前作で愛する妻をころされたボンド。
その妻を殺した組織を追ううちに環境保護団体を装った謎の集団を率いる
グリーンと男に行きつく。
このグリーンに近づくうちに、グリーンの周りにいるボリビア政府の
クーデターをたくらむ将軍を追う女性も現れる。

前作「カジノロワイヤル」を完全に忘れているので話がややわかりづらい。
ボンドが誰の何のための復讐をしてるのかまるで理解できないからだ。
なのでややストーリーに入りにくい。
ここら辺は忘れた私が悪いのか、そういう観客を無視して話を進める
製作者が悪いのか。

のっけから大カーアクションシーンの連続。
でもねえ、カットが細かすぎてシーン全体で起こっていることが理解するのが
精一杯。
続けての屋根伝いに敵を追いかけるボンドのシーンも同じ。
もうちょっと「溜め」というか間を持った編集をしてくれてもいいのではないか?

で謎の組織を追ってグリーンという環境団体に行きつく。
でも陰謀が小さい。
ボリビアの水資源を手中におさめ儲けようという魂胆。
いやボリビア人々には大事な問題だが、世界的陰謀の話がおおい007にしては
話が小さい。

そして今回は秘密兵器が全くなし。
ハイパースーパーな携帯電話でありとあらゆる情報をさくさくと取り出すぐらい。
MI6のタッチパネルのディスプレイもすごかったけど。
透明になる車、みたいなやりすぎな秘密兵器も考えものだが、全く秘密兵器が
出ないものさびしい。
それと笑いのシーン(ユーモア)もなかったな。

ラスト敵にエンジンオイルを渡して砂漠に置き去りにしてボンドは走り去るのだが
もう一言粋なセリフを言ってほしかったな。
昔の007と比べるのは野暮だと思うのだが、007にはこっちにもイメージが
あるので。
まだまだシリーズは続くようだが、ただのスパイアクション映画になってしまい
「007」らしさがなくなってしまった気がする。
(「ゲットスマート」の方がよほど007らしかった)

そうそうライフルスコープ越しにボンドを捉えるオープニング、今度は
エンディングになっていましたね。
ちょっと驚きました。



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日本の夜と霧


日時 2009年1月22日
場所 DVDツタヤレンタル
監督 大島渚
製作 昭和35年(1960年)

「日本の夜と霧」については名画座に記しました



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アラビアのロレンス


日時 2009年1月18日14:45〜
場所 新宿テアトルタイムズスクエア
監督 デビット・リーン
製作 1962年(昭和37年)

(詳しくはキネ旬データベースで)
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1915年頃を舞台に、トルコ支配を受けるアラビアのためにアラブの部族を
率いて戦ったT・E・ロレンス青年(ピーター・オトゥール)の活躍を描く。

この映画を観るのは2回目。
1回目はもう30年も前になろうか。名古屋のグランド劇場(今はない)だった。
実をいうと私は「世界の名作映画」と言われる映画がたいていダメ、「ベンハー」も
だめだったし「風と共に去りぬ」もだめだった。
「ベンハー」は数年前に見直してもだめだった。「風と共に去りぬ」は中学生の時に
観てまるで面白くなかったのでいまだに見直す勇気がない。
あと「ウエストサイド物語」もだめ。

こう書けば察していただけると思うが、この「アラビアのロレンス」も私には
だめだった。
映画的に価値がないとか出来が悪いとは思わない。
砂漠のロケなんか素晴らしいし、金も時間もかかっているだろう。
撮影2,3年はかかってそうだ。
映画の出来は素晴らしいと思うが、じゃあ私が好きかというとまるで別の問題で
まるっきり面白くないのだよ。

この映画を観たのは高校生の時。
ちょうどこれから近い将来立ち向かっていく社会という大海に大して恐れを
抱いていた時で、前半ロレンスたちがアカバを攻めるために砂漠を渡っている時に
一人いなくなった者がいる。
まわりが「運命なのだ」と言われてもロレンスが一人彼を助けにいく。
そして戻ってくる時にまずはロングで砂漠をとらえ、遠くでかすかに人影が見える。
このあたりはもう大画面で見なければわからないような画の素晴らしさだ。
帰ってきたロレンスが「運命などないのだ」と言い切るあたりは人生に不安を
与えていた僕に大きな勇気を与えたもんです。

ここだけははっきり覚えていて、その記憶は間違っていなかった。
でもまあ後半になるに従ってまるで心に響かない。

そりゃアラビアを愛し、彼らを平和な世界にするために部族間の争いをやめさせ
民主的な政治をさせようとするが、なかなかそうはいかない、また自分がどんなに
彼らを愛しても皮膚の色が違う、といったようなロレンスの嘆きと悲しみは
よくわかる。
でもねえ、それが何?って思ってしまうのだな。

どうも駄目だなあ、こういう映画は。
いつか「風と共に去りぬ」も見直す時が来るんだろうけど、たぶん私には面白い映画では
ないんだろうな。



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ワールド・オブ・ライズ


日時 2009年1月17日21:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 リドリー・スコット

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CIAの工作員フェリス(レオナルド・ディカプリオ)はテロとの戦いと為
世界規模で起こる爆弾事件の首謀者を捕まえるために日夜現地の人間から
情報を取ろうと必死だった。
現場を理解せず、ただ指示だけをしてくる上司のホフマン(ラッセル・クロウ)
の余計な手出しのために自分の作戦が失敗することも。
ヨルダン情報部の手を借りながら、フェリスは情報獲得のために戦い続けるのだが。


いい評判も悪い評判もあまり聞かないこの映画。
リドリー・スコット監督、ディカプリオ主演ならもう少し話題になっても
よさそうな気がするのだが。
それもそのはず、ひどくはないがどうにも話が盛り上がりに欠けるのだよ。
これが途中で新たなテロ情報を察知したデカプーが現地(イギリスでも
アメリカでも)に飛んで行ってそのテロを食い止めようとするんだが・・・
的な盛り上がりがあれば、画的に面白くなったと思うのだが、なぜか
そうはならない。

代わりに架空のテロ組織を作り、一般人をテロ組織のリーダーに仕立て上げ
資金も送り、架空のテロ事件をアメリカ空軍基地内で起こしたりする。
で、この新たなテロ組織に自分たちのターゲットが接触してくるだろう
という作戦。
ところが手は見抜かれてしまう。

で一番いけないのがデカプーは途中、自分が怪我をしてくれた時に治療してくれた
看護師に惚れてしまうのだな。
で、ラストにこの女がテロ組織に誘拐されて窮地に陥ってしまう。
こういう展開はよくないよ。
そんなねえ、自分は危険な立場なんだからいざとなったら女に迷惑がかかる
ことぐらい一流の工作員ならわかれよ。

そのあたりの彼の工作員(あるいは脚本)の甘さがこの映画をつまらなくして
いるように思う。
映像の方もリドリー・スコットらしいスモークを焚いたようなフォギーのかかった
画もなく、正直その辺も楽しめなかった。

リドリー・スコットも撮り過ぎなのかな。



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感染列島


日時 2009年1月17日18:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 瀬々敬久

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東京郊外のいすみ野市総合病院に救急医として勤務する松岡(妻夫木聡)は
インフルエンザらしい患者を診察する。インフルエンザ検査をしたところ陰性、
風邪と診断した。だが翌日患者の容態は急変、死に至る。
WHOからメディカルオフィサーとして小林栄子(壇れい)や鳥インフルエンザの
権威・仁志教授(藤竜也)も派遣されてくる。
近くの養鶏場で鳥インフルエンザによる鶏の大量死が起こったため、新型インフル
エンザによるものと思われたが、既知のインフルエンザに該当するものはない。
実はそれは新型ウイルスによるものだった!

09年冒頭からパニック大作!
ずいぶん前から楽しみにしていたが、こういったパニック映画の場合、日本では
どこかはずすことが多いため、期待はずれに終わることが多いが、おおむね楽しめた。

松岡の務める病院も患者や医師の役者の数も多く、画面の隅々まで人がいきわたって
おり、画としての豪華さは十分見ごたえがあり、この辺でまずは映画がしょぼくない。
また治療にあたる妻夫木たち医師の混乱ぶりも描き方がリアルで臨場感あふれる。
だからとりあえずは合格だ。

しかし脚本の詰めの甘さなのか、説明不足なのか、大風呂敷を広げた割には
後半に行くに従ってボルテージが下がる。
妻夫木がウイルスの感染源を追ってアボンに行く。
おいおい、病院ほったらかしてよくアボンまで行けたなあ。
もちろん映画的には主人公をアボンにまで連れて行きたいのはわかるが、
妻夫木の立場からすると強引な感じがするのだな。
で、帰ってから画期的な治療方法でも見つけるのかと思ったら
特にそういうわけではない。

で後半になると緊急医療のシーンも同じことの繰り返しになるので若干
飽きが来る。
カンニング竹山扮するウイルスの無名の研究者(って普段は何をしている人なのだろう)
がウイルスを発見するのだがなにか特別の治療法を発見するわけではなく、
「半年たてばワクチンが出来ます」という結論。
この記者会見のシーンで「私たちじゃなく、俺の研究だよ!」とぶつぶついう
シーンがあるが、この記者会見で何か竹山が言えばよかったのだが。

そしてなぜか小林栄子の方は長野に転勤(?)になり(何の説明もなく長野の
病院に行くのだよ)彼女も新ウイルス「ブレイム」に感染する。
結局妻夫木との「男女の病気で片方が死ぬ話」というチープなラブストーリーに
話が落ち着いてしまう。

なぜ彼女は感染してしまったのか、なぜ感染する人としない人がいるのか、
なぜ治る人と死んでしまう人がいるのか、といった医学に無知の私には
よくわからないまま話は進んでいく。
まあ確かにすべて病気というものはすべての人がかかるわけではないし、
すべての人が死ぬわけではない。
だからそういうことを考える私の方が間違っているのだろう。

それと都市機能のまひについて。
最初の方ではスーパーに人が殺到するシーンがあったが、やがてはどうなって
どうなっていったのだろう?
ライフラインが機能停止していれば水や電気ガスはどうなっていったのか?
鉄道はどうなっているのか?
食糧の販売はどうなっていたのか?
一般の会社でも休む人が多ければ仕事が止まってしまうし、「社長が死んで会社が
倒産」といった中小企業も出てくるはず。
それに対して政府が採った対応とは?といった描写が多ければシミュレーション
映画としてもっと面白かったと思うがなあ。
結局は単なる「恋人や家族が死ぬ映画」になってしまった。

このあたりがやはり日本映画の限界なのかな。
面白かったが、もっと面白くなったはず、という悔みが残る映画だった。



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大怪獣出現


日時 2009年1月12日
場所 DVD
監督 アーノルド・レイヴェン
製作 1957年(昭和32年)

(詳しくはインターネット・ムービー・データベースで)


アメリカ海軍はカリフォルニアの湖で実験を行っていた。
その地に地震が起き湖底で地割れが生じた。
地震が収まった後、いつものように飛行機からのパラシュートによる
湖に向かって降下訓練が行われる。しかし降下した大尉を迎えにいった
ボートの兵士は大尉を発見できない。しかも彼らも何物かによって命を落とす。
さらに捜索に向かった司令官たちの前にはだかったのは巨大な怪物だった!

15年ぐらい前になるか、ニューヨークに旅行に行った際にお土産で
あちらのビデオショップで何本か映画を購入した。ゴジラの海外版などを
中心に買ったのだが、ついでにアメリカのB級怪獣映画を、と思って買ってきたのが
これだった。
最近DVD化されたのを知り、購入し改めて見てみた次第です。

前は英語のみで日本語字幕なしで見たから話の細かいところは理解できなかったが
今回は理解できました(ってあたりまえです)
この怪獣、それまで湖底に眠っていたのが地震によって起こされて、古代のかたつむり
ではないかという結論。
頭部と体しか画面に映らなくて全体像がいまいちわからない怪獣なんですよ。
怪獣が出現して爆雷でほとんどが壊滅するが、一部が地下水道を通って市街に
侵入し・・・という展開。

古い地下水道の資料を当たって古本屋(たぶん)が、なんだかマイペースな
キャラクターで笑いをとる。日本でいえば沢村いき雄が演じそうなキャラクターだった。

市街に現れた方もなんとか爆破したのだが、研究室にサンプルとして持ち帰って
3℃の水槽で保存していた卵を子供がいたずらで(というか実験材料のウサギ小屋を
温めようとして)何も知らずに温度調節を上げてしまう。
まあこの子供がバカ、という展開がバカらしいが(こんなドジするなよっていうことで)
最後のこの娘と映画のヒロインであるその母親が実験室で追い詰められるシーンは
なかなか怖かった。

今回気がついたが、アメリカのこういう怪獣映画って大きさが数メートル程度と
日本の怪獣に比べると小さいのだな。
また常に繁殖する、ということで一旦倒してもその卵からかえったのがまた出てくる
とかの話が多い。
となるとアメリカ版「GODZILLA」でゴジラが卵を産んで無数のゴジラが登場するというのも
エメリッヒたちにとっては「お決まり」の展開と考えたんじゃなかろうか?
なんかそんな発見もありました。



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将軍家光の乱心 激突


日時 2009年1月11日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 降旗康男
製作 平成元年(1989年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



将軍家光の長男・竹千代はまだ5つの幼子だが、体が弱く日光で湯治をしていたが
そんな時、何者かに襲われる。
敵の手ごわさから単なる幕府が絡んでいると見た護衛役の形部(緒形拳)、竹千代を
預かっている佐倉藩・藩主の問いただすとやはり老中阿部重次(松方弘樹)の
意思が働いているらしい。
そんなとき、竹千代を5日後において江戸城で行われる元服式までに送り届けるよう
命令が下る。
時間がない。形部は配下の者ともに竹千代を連れて江戸に向かう。
しかし敵も手ごわい。本当に黒幕は老中だけなのか!?

千葉真一がアクション監督の大アクション映画。
映画はこの展開を経て老中の命令を受けた千葉真一と緒形拳の一行の駆け引きと
戦いのアクションだ。
その戦いは「十三人の刺客」(立場が逆だが)「隠し砦の三悪人」にも通じる
ものがある。
私も(この映画が公開された当時私自身が映画を見なくなったいた時期でもあるのだが)
知らなかったし、ちょっと評価が低いかなと思う。

爆発あり、ジャンプあり、断崖の川を綱で渡るとか、橋が爆破されて馬がひっくりかえる
とかアクション、アクションの連続。
ドラマはほとんどなく、ここまでアクションに徹した映画も珍しいだろう。
しかも緒形拳の一行の中に口がきけない設定(だと思う)台湾人のカンフーの方まで
いる豪華さ。

ラストは長門裕之(長門裕之ってアクションとは無縁の感じがするのですが)が自分の
体に油をかけ敵陣に突っ込むシーン、かぶり物をしているのだがその顔が妙に
長門裕之に似ているような似ていないような微妙な感じで笑ってしまう。

しかしまあ全編にわたり千葉真一アクション全開でJACの一つの到達点だったのだろう。
ちなみに織田雄二が緒形拳の一行の中にいるのだがわかりにくい。
顔に防具をつけているので分かりづらいのだが、どうやら千葉真一が自分のJACのメンバー
を目立たせたいために防具をつけたままでほとんど演技をさせたらしい。
(降旗監督の話)

そして緒形拳は自分の命を引き換えに竹千代を江戸城に送ることに成功。
将軍家光(京本政樹)は怒り心頭するのだが、竹千代の乳母が緒形拳から形見に貰った
扇子に見せたかくし刀で・・・・
という展開。

観ている間は十分面白かった。



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駅 Staition


日時 2009年1月10日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 降旗康男
製作 昭和56年(1981年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


三上英次(高倉健)は射撃の名手でオリンピック選手。
彼が関わった事件とその事件の女たちをオムニバス風に描く。

高倉健がやっぱりかっこいい。
この映画の魅力はやはり高倉健。健さんのかっこよさを描くにはどうすればいいか
を中心に倉本総が脚本を書いている気がする。
雪の中に立つ高倉健のシーンがやたら多い。
これも定番の風景として「外せない」という感じ。

そして男と女の出会い。
後半の倍賞千恵子が登場してからは映画は俄然輝きだす。
ふらっと立ち寄った客のいない居酒屋、おかみは美人。そのおかみになんとなく
惚れられる。
そんな中年男の夢を描いたというかもう一種ファンタジーだ。
思いのままに突っ走り怒鳴りあうような若者の恋愛と違う、自分や相手の立場を
わきまえつつの恋愛ドラマ。

そして常に自分の意志とは関係なく人を撃つ立場にたたされる高倉健。
数々の任侠映画で演じてきたキャラクターを現代になんとか置き換えている。

高倉健がオリンピック選手と聞いて最初は「?」と思ったのだが、そういう
ことなのだ。
つまりオリンピックの腕を見込まれて、常に拳銃を使って犯人を撃つポジションに
なる。
ただの刑事ではそうそうしょっちゅう相手を射殺する状況にはならないだろう。
そういった「自分の意志とは関係なく、組織の都合で常に人を撃つ仕事」と
考えれば納得がいく。

とにかくまあ倉本総が高倉健にささげた映画。
そう考えるとすべて説明がつく。
ただし倉本総があまり私の好みじゃないので、映画そのものあんまり好きでないのが
残念だが。



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日本の黒幕<フィクサー>


日時 2009年1月5日
場所 録画DVD(東映チャンネル)
監督 降旗康男
製作 昭和54年(1979年)

「日本の黒幕<フィクサー>」については名画座に記しました



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ロボット大襲来


日時 2009年1月4日
場所 DVD
監督 シャーマン・A・ローズ
製作 1954年(昭和29年)

(詳しくはインターネット・ムービー・データベースで)


ある女性が目を覚ます。どうやら彼女は昨晩睡眠薬を飲んで自殺を
図ったらしいのだが、死ねなかったようだ。
しかし外には誰もいない。街へ出てみるとゴーストタウンだ。
街角で女性が恐怖の表情でなくなっているのを発見。そのときに
ある男性と遭遇する。彼も昨晩強盗に襲われて昏睡状態にあり、
起きたら街に誰もいない状況だったと言う。
そのとき、どこからかピアノの音が!
一体何が起こったのか?

ほとんど無名のSF映画。
SFが今のようにもてはやされる前の「キワモノ」扱いだったころの感じの
映画だ。
最初の30分はこうして誰もいなくなった街の不可解な感じで見てるこっちを
引っ張る。
やがて新聞を発見。夕べ遅くに何者かがやってきて街に避難命令がでたらしい。
ピアノを弾いていたのは飲んだくれてしまって同じく避難命令を聞き逃した男女。
そこへ通りがかった男の話では車はまったく動かなくされており、車での
脱出は不可能だと言う。そこへ謎の影が!
とこのあたりで不気味さが高まる。
そして正体を現したそいつは目の部分から怪光線を発射し、通りがかった男を
殺してしまう。

で、その敵の正体のロボット。
これが正直いうけど小学生が工作で作ったようなロボットでかなり可愛い。
「大襲来」とタイトルにあるけど実際に画面に登場するのは1体だけだから多分
実際にも1体しか作っていないのだろう。

このあたりから映画は4人の男女だけでなく、軍の側も描き始める。
敵の1体を捕獲したと言う報告。早速科学者に弱点を探し出すよう指示。
街の4人の方、やがて最初に登場した男と女は惹かれあうようになり、
(ここんとこ定番の展開)、もう片方のカップルは、普段は喧嘩ばかりしていて
このときも喧嘩を始めてしまうのだが、実は愛し合っていて離れられない関係。
このあたりの描き方が(喧嘩をしていて、二人が対峙しあうとそこでキスを
するという描写)がなかなか男女の不思議さを描いていて定番にならないのがよい。

で、軍の方は撃退法を発見。
4人の男女の方には脱獄囚がやってきて拳銃で脅しだす。
ロボットもやってきて屋上に追い詰められ、4人のうち一人二人とやられていき、
「ああ!」というところで軍が駆けつけて事態は解決。
果たして軍が考え出した対応策とは?
というあたりでこの文章はおしまい。

なんだか「ウルトラQ」や「トワイライトゾーン」(こっちは特撮は登場しないが)
を見るようなそんな感じのSFだった。
もちろん世紀の名作とは思わないけど、ちょっと見る価値のあるSFであることは
間違いなかろう。
面白かった。



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地球が静止する日


日時 2009年1月3日21:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 スコット・デリクソン

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宇宙生物学の女性科学者ヘレン・ベンソンはある日、政府から緊急招集される。
あと1時間半後にニューヨークに巨大な飛行物体が衝突するというのだ。
しかし物体は衝突せずにセントラルパークに降り立った。
その巨大な球体からロボットが登場し、不思議な物体を携えてくる。
発砲する兵士。ヘレンはその物体から赤い血が出たのを見、病院に運ぶ。
その不思議な物体から出てきたのは人間だった。
彼は傷を回復するとクラトゥ(キアヌ・リーブス)と名乗り、世界各国の代表者
との面談を要求した。
彼の目的とは?

やたら悪い評判ばかり聞くこの映画。
観てみたけどそれほど悪い映画でもない。(かといって面白くもないが)
みんな正月大作で売られてるから期待しすぎたんじゃないか?
ひっそりと公開されていれば「ちょっと拾いものの映画だったよ。ラストの方の
スタジアムの崩壊なんてCGがよく出来ていた」なんて言ってもらえたのでは?

何で面白くないかといえば話が地球的規模になってもよいのにヘレンがクラトゥを
逃がし、その二人の逃避行になっている。そこでヘレンの死んだ夫の連れ子が
「お父さんだったら」「お父さんだったら」を繰り返す。これがうるさい。
で、大型ロボットがニューヨークを壊せば面白いのだが、アメリカは怪獣タイプの
大型な悪いやつが暴れるのを好きでないのか、捕獲された大型ロボットから
出てきた虫タイプの敵が無数に出てきて町を破壊し始める。

で予告でよく見たスタジアムの崩壊シーンとなる。
でもこれがクライマックスではさびしい。
この虫型の敵も物語のもっと早くから出てきてどんどん破壊し、軍との対決を
観たかったなあ。

それにクラトゥ、「地球を救いにきた」とか言って具体的に人間に何をしろ
と言わない。昔のオリジナル版は確か「核戦争をやめろ」的冷戦批判があったのだが
今回なら環境破壊についてだろう。
たとえば「地球温暖化防止のために何々をしろ。さもなくばこうしてやる」的な
展開になれば、テーマ性もあって見ごたえがあったろうが、そういうこともなく
中途半端だ。

で地球人の女にほだされ地球攻撃しないで帰っていくのだが、その前に地球の動力を
すべて止めてしまう。
で、止めっぱなしかよ!

結局、テーマも中途半端、スペクタクルも中途半端、という感じで正月映画としては
中途半端な映画だったのだろう。
さっきも書いたけど、大作扱いでなしに公開だったら、評価も変わった気がします、ハイ。



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252 生存者あり


日時 2009年1月3日13:10〜
場所 丸の内プラーゼル
監督 水田伸生

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小笠原諸島で海底地震が発生。海底からマグマが噴き出し、海水の温度が
急上昇した。そのため海水は異常事態となり高潮が東京湾を襲う。
それだけでなく、海水温度の上昇は台風の発生を招いた。
かつてない高潮にお台場や新橋は壊滅。
自動車のセールスマンの篠原(伊藤英明)は新橋駅に娘を迎えに行った際に
逃げ遅れた。
同じく逃げ遅れたインターン(山田孝之)、大阪の町工場社長(木村祐一)
韓国人ホステスのキム・スミンらと旧新橋駅のホームで閉じ込められる。
元レスキュー隊員の篠原は柱を2回、5回、2回の順で叩き、外にいる人間に
自分たちが生きて救助を待っていることを告げる努力をする。
はたして助かるのか?

この映画、やたら評判が悪い。
もうこの映画を誉めようものなら人格まで否定されかねない勢いだ。
私もこの映画が面白い映画だとは思わない。
基本的に設定を間違っているから。その点については後で書くが、それほど
ひどくはないと擁護したくなる点から。

まずは物語の舞台となる新橋駅のセットが実によく出来ている。
旧新橋駅は私も以前テレビで見たことがある。そのホームにある古い地下鉄
車両のセットも実によく出来ていた。
また同時に前半で登場する新橋駅の改札付近、後半で登場する崩壊した新橋駅地上付近
など実に臨場感があり、「美術セットは本当に素晴らしくなったなあ」と思う。
(ヒョウの降る銀座はセットか?合成か?)
合わせて冒頭の大津波でお台場付近が壊滅し、フジテレビが倒壊するシーンなど
以前の日本映画のCGに比べれば立派なものになったもんだ。

そういう評価する点はあるのだが、脚本の基本設定が間違っていないだろうか?
要するに災害の規模が大きい割には、地下に閉じ込められた数人の救出劇、と話が
ずいぶん小さくなっているのだ。
冒頭であれだけの災害を見せていれば、お台場も銀座も(映画では登場しないが)
品川も横浜もかなりの被害を受けていることが想像される。
それにも関わらず、被害にあっているのは(閉じ込められているのは)主人公たち5人だけ
のような物語構成。
根本的に間違っているよ。

こういう少人数なら少人数なだけの説明が必要だろう。
「ポセイドンアドベンチャー」は「現在この船で生きているのはこの数人だけ」というのが
ちゃんと説明されていた。
この「252」はその辺が全く説明ないので、内野聖陽のレスキュー隊長に「他の地区は
大丈夫なのか?」と思わず問いかけてみたくなってしまう。

実をいうと同じような疑問、不満を以前「地震列島」の時に感じて免疫ができているので
それほど腹は立たなかった。
ただ惜しいと思う。
こういう少人数の設定なら、新橋駅付近でガス爆発などの事故があり、数人の人々が
閉じ込められた。しかもこの日は大型台風が近づいていて救助もままならない。どうする?!
っていう設定、展開ならもう少しみんなも映画に乗れたんじゃないだろうか?
根本的に設定段階で致命的なミスがあった気がしてなりません。

出演者で書いておきたいのは内野聖陽。
NHKの「風林火山」で有名になった方だが、どうも時代劇ぽっくて行けません。
眉間にしわを寄せているしかめっ面がどうも時代劇の武将風に見えてしまい、ますます
映画を白けさせてしまった気がします。



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秋刀魚の味


日時 2009年1月2日19:30〜
場所 早稲田松竹
監督 小津安二郎
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


平山周平(笠智衆)は長男(佐田啓二)は結婚し、近所の団地で妻と二人暮らし。
自分は妻に先立たれ、長女(岩下志麻)と次男(三上真一郎)と三人で暮らしている。
このままでは行けないと娘を嫁にやることに。
結婚式も無事終わり、その晩、周平はさびしさを覚えるのだった。

小津安二郎監督の遺作。
今日、「晩春」と2本立てで見たのだが、ほとんど同じ話。リメイクと言っていい。
登場人物が増えた分、話に広がりがあるが、娘を嫁にやる父の話、という話の
根本は全く同じだ。

話が広がったところでは、まずは長男夫婦の部分。
佐田啓二が友達から中古のマクレガーのゴルフセットを買いたいのだが、妻(岡田茉莉子)
がいい顔をしない。冷蔵庫を買うといって父親から5万円借りるのだが、少し多めに
借りていてその余裕の分でマクレガーを買う算段をしているのだが、妻も「私もハンドバック
欲しい」と許さない。でも結局許すあたりの会話が絶妙。

また父親の同級生や学校の先生(東野英治郎)が登場。
笠智衆の同級生は中村伸郎や北竜二なのだが、北竜二は最近娘とそう歳が変わらない女性と
結婚。このことでからわかれている。行きつけの小料理屋の女将を「昨日(北竜二は)突然
死んで、今お通夜の帰り」とか笠智衆に「(岩下志麻に)紹介する予定だった男は
北竜二の方にすでに紹介して決まった」とか見ているこっちも騙される。

東野英治郎が今は学校の先生を辞めて娘(杉村春子)と中華そばやをやっているのだが
客の加東大介(笠智衆の軍隊時代の部下でもある)に「ここあんまりうまくないんですよ」
実はあまりはやっていない様子がうかがえる。その寂しさがなんとも言えない。

また「晩春」もそうだったが、妙に繰り返しが多いことも気がついた。
「俺はああはならないよ」「いや、なるよ」「ならないよ」「いやなるよ」
「そうかなあ」「そうだよ」「そうかなあ」「そうに決まっているよ」
こういう感じの会話が多い。
実生活では案外こういう風に繰り返しの会話が多いが、映画などではあまりこういった
繰り返しの会話はない。
この辺も小津のテクニックなのか。

しかしカメラアングルにしろ、この会話の繰り返しにしろこういったテクニックの分析は
大して意味をなさない気がしてきた。
ではそういうことを真似すれば誰でも小津映画が撮れるだろうか?
たぶん答えは「否」だ。

今回観た2本の小津映画、両方とも見終わってすぐに大いなる感動や驚きを感じていたわけではない。
しかし2,3日たっても妙に頭から離れない。
じわ〜っとくる感動とでもいうのだろうか?
最近こういう感触を味わったのは鈴木英夫の「その場所に女ありて」だった。
そんな見終わってしばらくしてからも頭に残るのが小津映画の魅力といえるのかも知れない。



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晩春


日時 2009年1月2日17:25〜
場所 早稲田松竹
監督 小津安二郎
製作 昭和24年(1949年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


鎌倉に住む大学教授の周吉は妻に先立たれ、一人娘(原節子)と二人暮らし。
今までなんとなく二人で暮らしてきたが、そろそろ娘を嫁にやることにする。
娘も父との暮らしを望んでいたが、父に説得され嫁に行くことに。
二人は最後だからと京都旅行をする。
やがて娘は結婚し、周吉は一人になるのだった。

小津安二郎を見るのは久しぶり。
この映画も学生時代(つまり20数年前)にも観ている。当時、日本映画の名作と言われる映画は
見ておこう、という気分だったので、小津作品も戦後の主要作品は観ている。
どれも好きになれず(東宝特撮と黒澤明のようなダイナミックな映画が好きだったから当然といえば
当然なのだが)、40も過ぎてみてみれば見方が変わるかと思ってみてみた。

う〜ん、正直、そんなに感想は変わらなかった。
とはいっても昔よりは実感をもって見ていたとは思う。

しかしこういう誰にでもあるような人生の一風景をとらえてきちんと見せてしまうのは大したものだ。
恐れ入る。
何といっても笠智衆だろう。
小津作品での日本の典型的父親像を見事に演じ切る。
そして原節子。日本映画を代表する美しさだろう。
同じく小津作品の常連の杉村春子。
この人も存在感も忘れられない。

カメラアングルも昔見たときは「ローアングルで正面からとらえる」というのがずいぶん気になったが
今回は気にならない。
他の説明用の風景の画もそうなのだが、バシッと構図が決まっているのだ。
人物でいえば、肖像画のような安定感のある他に構図を考えようがないくらいの安定感なのだ。
逆に小津さんからすると他の監督の俯瞰やらパンやらほうが不思議だったかも知れない。
このスタンダードサイズでの画面の安定感を知ってしまうとシネスコサイズを嫌がった
理由がよくわかる。
シネスコサイズでは人物をとらえたときに左右が余りまくってしまうのだ。

小津作品のユーモアも楽しみ、同時上映の「秋刀魚の味」を見る。
両作品に共通する部分も多いのだが、その点については「秋刀魚の味」の項で書きます。



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