2003年7月

鴛鴦歌合戦
ライムライト のらくら 俺の故郷は大西部
(ウエスタン)
ラーマーヤナ
空気の無くなる日 踊る大捜査線 THE MOVIE2 
レインボーブリッジを封鎖せよ!
殺人狂時代 犬の生活
COSMIC RESCUE 
The moonlight generations
バトル・ロワイアルU
【鎮魂歌(レクイエム)】
独裁者 担へ銃
あゝ決戦航空隊 マトリックス スパイ・ゾルゲ さよなら、クロ

鴛鴦歌合戦


日時 2003年7月27日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 マキノ雅弘
製作 1939年(昭和14年)


まずこの映画の製作が1939年、昭和14年であることを
記しておきたい。

内容は時代劇で志村喬が貧乏侍で傘張りで生計を立ててるが
骨董品集めが趣味で稼いだお金を全部つぎ込んでしまっている。
その娘は片岡千恵蔵の若侍に惚れていて、また別の娘も
千恵蔵に惚れている。
そして若殿が町で見かけた志村喬の娘に惚れてしまい、ある骨董品を
志村喬に若殿が買い与え、その見返りに側室になる話を持ちかけられて・・・・
といった恋愛コメディなのだが、この映画のすごいところは
オペレッタ(歌劇)なのだよ。

セリフの大半が歌となり、志村喬も若殿も町娘も歌う歌う。
踊りの方は歌に合わせて体を左右にゆするだけだから
たいしたことはないんだけど、その明るさにただただ
こちらの頬は緩みっぱなし。

製作時は戦争に向かってまっしぐらの騒然とした時代だが、そういう
時代だからこそ、こういう明るい映画が受けたのかも??

感動したり涙する作品じゃないですけど、そのナンセンスな明るさには
ただただ笑ってしまう、「戦前の日本映画はここまでやっていたのだ!」という
日本映画の水準の高さを示す一編。

一度みて損はないです、ハイ。

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ライムライト


日時 2003年7月26日19:20〜
場所 有楽町スバル座
監督 チャールズ・チャップリン
製作 1952年

(公式HPへ)


今は売れなくなった老コメディアン、カルヴェロ(チャップリン)は自分と
同じアパートの1階で若い女性テリー(クレア・ブルーム)が自殺しようと
していたのを助ける。
彼女はバレリーナだったが、カルヴェロによりはげまされ生きる勇気を
取り戻す。
一方、カルヴェロは自分の芸が観客に受けなくなり、コメディアンとしての
自信を無くしていくが今度はテリーにはげまされる。
テリーはやがてバレリーナとして成功し、カルヴェロを愛するようになる。


もう観ていて痛々しかった。
チャップリンとカルヴェロがダブって見えて仕方ない。
で、カルヴェロの持ち芸、蚤のサーカス、あれ笑えないなあ、
面白くないのだよ。

ラストのバスター・キートンとの共演のピアノとヴァイオリンのコントも
面白くない。
このシーン、映画中では舞台を見てるはずの観客の笑い声はない。
チャップリンはここで映画を見てる人たちによって爆笑になるはずだから
わざと観客の笑い声は無くしたのだろうか?

前作、「殺人狂時代」はコメディとしては面白くなかったので(あの映画はラストの
セリフだけが一人歩きしている)引き続き面白くないコメディを見せられると
こっちは痛々しくなってしまう。
単に時代が変わったということではない。
私は「独裁者」も「黄金狂時代」も「モダンタイムズ」も「街の灯」も笑うところでは笑えた。
製作年との数十年の時間のずれなどが要因なのではない。
要はつまらなくなったのだ。

そこで老コメディアンが「人生は素晴らしい」と説教をたれ、最後は大復活して
爆笑の渦の中で死んでいく・・・・・という映画を製作されてもねえ。
私としてはその自己満足さに戸惑ってしまう。

しかし、チャップリンコメディはこれで終ったわけではない。
彼はこの次の「ニューヨークの王様」でコマーシャル至上主義批判をする。
最後に見たのは20年以上前だが、レストランで海がめスープを注文するシーンは
今でも憶えている。再見したい。

この映画で今回の有楽町スバル座でのチャップリン特集は終了。
12作品を見直したわけだが、今観ても面白いもの、子供の頃よりつまらなく見えたもの、
様々だった。
見直したことは自分の中の映画史を再確認する上でよいことだった。
また20年後見てみたい。


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のらくら


日時 2003年7月26日18:35〜
場所 有楽町スバル座
監督 チャーリー・チャップリン
製作 1921年

(公式HPへ)


浮浪者のチャーリー、今日はリゾート行きの列車の貨物室にただ乗りし
ゴルフ場へと直行だ。
ゴルフ場で繰り広げられる珍プレー。
そこへエドナ・パーヴィアンスの金持ち未亡人に夫(チャップリン二役)に
間違われ、ホテルの仮装パーティへ・・・・


製作当時、今よりもっとゴルフのステータスは高く、まさしく貴族の
遊びだったろうから、浮浪者がゴルフをするというのは今以上にアイロニー
があったのだろう。
今ならさしずめ貧乏学生がヨット遊びをするようなものか?

笑い所はチャップリンのゴルフプレーかな?
(チャップリンは左利きだからショットの向きが違うんですよね、普通と)
チャップリン映画の脇役の常連ヘンリー・バーグマンが芝生に寝転んでいて
その大きいおなかをチャップリンが踏むと、次々とゴルフボールが口から
ぴょこんと飛び出し、それをスコンとスコンと打つという所。
これがチャップリンがおなかを踏んで打つまでをワンカットでやっている。

それも1回だけではなく何回もワンカットの中で打ちつづけるのだ。
カットを切ったのか、またはヘンリー・バーグマンの顔の陰に仕掛けがあって
ボールを飛ばしていたのだろうか?
いくらなんでもヘンリー・バーグマンの口に何個もゴルフボールが仕掛けてあった
訳ではなかろうに。

それと映画前半でエドナの夫の金持ち、うっかりもののチャーリーが
ズボンをはき忘れてホテルのロビーに出てしまい、電話ボックスに入ってから
それに気づき、新聞を奪ってしゃがんで部屋に帰るところ。
その辺です。


しかしこの作品に限らず、チャップリンの映画は金持ち(ブルジョワという方が
いいか)批判が多いのだが、自分だって映画で財をなして世間的には
金持ち、ブルジョワになったんじゃない??
前から疑問なのだが、彼、チャップリンの中にはそのことに対して
自己矛盾はなかったのだろうか??

もう一度チャップリン研究本も読んでみたくなった。


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俺の故郷は大西部(ウエスタン)


日時 2003年7月21日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 西河克巳

(詳しくはキネ旬データベースで)



ワイアットアープの子孫、ジョージ三原(和田浩二)はテキサス育ち。
父が日本で世話になった松山という日本人に、かつて世話になったお礼の
10万ドルを届けるように命じられ来日する。
ところがジョージの金を狙ってOK商会(ボス=殿山泰司)の一味
(野呂圭介、榎木兵衛ら)が待ち構えていた。
羽田空港でマリという女の子と知り合ったジョージだったが、
松山は見つからない。
マリの話では松山は銀座で不良を更生させる事をしていて、
友人の大川先生(東野英治郎)が知ってるかも知れないという。


日活無国籍ナンセンス映画の有名作品。
「ハーフっていう設定の割にはまんま日本人顔じゃないか?」とか
「なんでそんなに日本語がうまいんだ??」などと細かいことに突っ込んではいけない。
話はOK商会の雇われ殺し屋がワイアットアープに殺されたクライトンの子孫
(E・H・エリック)まで登場する。

じゃあ全篇西部劇かというとそうでもなく、ナショナルのネオンサインをバックに
「俺はクライトンの子孫。お前の先祖に殺されてその復讐をしてやる!」という
所はフィルムノワールの雰囲気。
東野英治郎の大川先生は富士山のふもとで牧場を開き、孤児たちの面倒を
見ているのだけれど、ジョージが大川先生に(本筋とはほとんど関係なく)、
「この子のために音楽会を開きましょう」と言う事で歌謡ショーが始まる。

で、出てくる歌手が平尾昌章とか守屋浩とかそういう人たち。
その間にマリはクライトン達に誘拐され、それを救うためにジョージはOK(AWA)牧場
にやってくる。で、対決。
この対決シーン、SP作品の割には小屋1軒燃やしちゃってなかなか贅沢。

僕としては見せ場は前半、ジョージが投げ縄でOK商会の野呂圭介をはじめとする
悪党どもを叩きのめすところかな。

突っ込みまくって楽しむもよし、ばかばかしいと笑いのめすのもよし。
日本映画って昔はお遊びが出来たんだなあと思える作品。

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ラーマーヤナ


日時 2003年7月21日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 不詳
製作年 不詳

かなり昔に東宝が製作した人形劇。
クレジットタイトルが無いので詳しい事が全く解らなくなってるらしい。
解らないと言っても製作年は1940年代と思われ、クレジットタイトルを
撮影するほどフィルムに余裕がなかった時代の作品とも考えられる。
東宝マークは出てくるが「トーホーカブシキガイシャ」と片仮名で
左から右へ文字が出るので「横書きは左から」になってからの完成と
思われるので終戦直後かも知れない。

20分ほどの短編人形劇でインドの古代叙事詩『ラーマーヤナ』を題材にしたもの。
台詞はなくサイレント映画のように字幕も無い。
悪い巨人(これは着ぐるみの人間)が歌のうまそうなきれいなお姫様をさらってしまうが、
カッコいい王子と猿の軍勢が無事救いだす。

内容的にはそういう感じ。
戦前のエノケンの「孫悟空」を連想させる夢のある物語。
スピード感は無いが何とも夢のある感じで見ていてほのぼのとした気分になった。
この作品の詳しいスタッフが知りたいものだ。

「孫悟空」などを作った東宝の技術の賜物だろう。
東宝特撮の創生期の作品として研究の価値ありかも。


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空気の無くなる日

日時 2003年7月21日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督(演出)伊東壽惠男、吉田庄太郎、菅家陳彦
製作年 1949年(昭和24年)
製作 日本映画社 特殊技術 東宝合成課


明治42年、ハレー彗星が近づいた時のお話。
ある田舎の村でハレー彗星の引力で地球の空気が5分間だけなくなるという
噂が流れ始める。
初めは信じなかった小学校の校長だが、自分も町に行って新聞を見せられ
愕然とする。イギリスの学者が空気がなくなる可能性があると言っているのだ。
村人たちは自転車のタイヤのチューブに空気を溜めておけば何とかなると
思い、村の自転車屋に駆けつけるが強欲な自転車屋(花沢徳衛)はチューブの
値段を昨日までの1円20銭から150円に吊り上げ、その上地主が
全部買い占めてしまう。


昔、噂には聞いたことのあった(多分)日本初のSFパニック作品。
田舎、SFと聞けば近年の「UFO少年アブドラジャン」を思い出させるが
本作はもっと真に迫っている。

最初の方の校長が子供に5分間息をとめる訓練をするところあたりは
ユーモラスなのだが、空気がなくなる日が近づくにつれ、徐々に怖くなってくる。

ある者は宗教にすがり、ある者はそのままを受け入れようとし、
また地主のように自分たちだけ助かろうとする。
またこの地主がひどい奴で、「タイヤのチューブを買えばいい」と教えてくれた
学校の小遣いに「一つ分けてやる」と最初に約束したのに、渡したのは
破れてしまったチューブ。

そしてその運命の日。
「世界大戦争」を想起させるかのように最後の食事を楽しむ一家。
学校へ行けば今まで威張っていた地主の子供の言う事など誰も聞こうとしない。
「わしらどうせ死ぬんじゃ!いつまでも言う事なんか聞いてられるかい!」

運命の瞬間が迫る時、地主や校長や先生の姿をカットバックで映していく
所などは今の終末SFと変わらない緊張感が迫る。

結局何も起こらずにホッとさせられるのだが、児童向けの映画とはいえ
「人間は死ぬとわかった時はどうすればいいか?」ということを考えさせる
きっかけを与えてくれる。
娯楽映画の形をなしながら実にためになる映画にもなっている。(マジだよ)

特撮面では宇宙空間の太陽系の太陽を中心として惑星がまわっている姿を
説明する画など実にいい。
あと合成なのか、書き割りなのかはっきりしないが、夜空にぽっかりと巨大な
ハレー彗星が浮かんでいる姿は見事に美しかった。
この映画の舞台となっている明治42年から後にまたハレー彗星は
近づいたが、都会のネオンによる夜の明るさで何にも見えなかったからなあ。

日本SF映画には、ゴジラより以前からこんな面白いSF映画が存在していたのだ!


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踊る大捜査線 THE MOVIE2 
レインボーブリッジを封鎖せよ!


日時 2003年7月20日20:00〜
場所 日比谷スカラ座1
監督 本広克行

(公式HPへ)
(湾岸署HPへ)

お台場はいまや観光スポットとなり湾岸署の忙しさも増していた。
そこへ家族ぐるみのスリや若い女性の首筋に噛み付く通り魔、
会社役員連続殺人事件が発生する。
警視庁は新たな女性管理官を派遣する。
また署長の不倫メールがウイルスのせいで署員全員に送られてしまう。
青島を初めとする湾岸署の全員が事件に振り回される!!


最初に書いておくが私は「踊る大捜査線フリーク」だ。
ここ数年愛用している腕時計もこの映画で青島君がしているのと
同じウエンガーのミリタリーウォッチだ。
一時期、冬は青島君がいつも来ているアーミーコートと同じ形のを着ていた。

テレビシリーズ、2本のSP、そして映画版もずっと見つづけていた。
私としては、今回の作品はよく言えば「拡大再生産的リメイク」
悪く言えば「今までの焼き直し」。
昔から観てる人にとっては「前にも同じようなシーンあったな」が多いのだが、
はじめてみる人には「踊る大捜査線」のテイストを初めから味わえて
よいといえるかも知れない。

今回のアウトラインの「一度に複数の事件が発生し、警視庁(本店)の
指導の事件と所轄の小さな事件とが交錯する」というは映画版1作目と
全く同じだし、張り込み中に別の事件に遭遇し、どちらに向かうか迷う
というのは映画版にも、TVシリーズ第4話にもあった。
恩田刑事が撃たれたあとの土砂降りの中の検問もTVシリーズ第10話で
やったしなあ。
また今回の事件の目撃者の女性(小西真奈美)をガードするというのも
TVシリーズの柏木雪乃との関係に似ている。
また小泉孝太郎の監視モニター室オペレーターもTVシリーズ第8話の
袴田吉彦のプロファイリングチームを想起させる。

そしてニューキャラクターの沖田管理官。今回は女性を管理官におくようにして
新しさを出そうとしているが、官僚中心主義のいやな奴、という点では今までと
全く同じ。

奇をてらったことをせず、あえて新しい事、今までと違う事をやらないようにしたと
いう気持ちもわかるし、必ずしも間違っていないが、ここまで同じだと
僕にとってはやや出がらしのお茶を出された気がしてしまう。

それと「カメダ」をこの映画で出すのはなあ。
蒲田はカメダにはならんだろう??
あの有名な映画の死体の発見場所が蒲田だったからかも知れんが、
この場合止めて欲しかった。

犯人役の「ナイナイ」の岡村、セリフがなくてよかった。
妙に重要な役だったら私は怒っていたろう。

また2時間20分はちょっと長い。
シーンシーンが勿体つけて長く、もう少し切り詰めて2時間ぐらいに
なっていたらもっとテンポがあってよかったと思う。
近頃流行りのデジタル・ハイビジョンHDCAM24Pによる
撮影のせいなのか、あるいはビデオ版のTVシリーズを見慣れてしまった
せいか画質の違いがえらく気になった。
最近、日本映画は画質がどうとか、ピントがどうとか気になるなあ。
俺の目がおかしくなってるのか?


「刑事ドラマのセオリーをやぶって新しいものを作る」というのがTVシリーズが
始まった時の目的の一つだった。
そしてそれは成功し、TVシリーズ刑事ドラマの流れを変え、それだけでなく人気TVドラマを
映画化するというのも当たり前のようになった。
つまり今度は「踊る〜」方式が主流になってしまったのだ。
当初の目的はすでに達成された今、今度は「踊る〜」の流れを変える作品を作る時代に
なってきているのかも知れない。

とはいってもファンなので「3」があったらまた見るけどね。
もっともまた5年経ったら青島くんももう40歳なので難しいかも。



映画の内容とは関係ないが、本日見た日比谷スカラ座1は20:00〜スタートの回
だったにも関わらず満席で大ヒットの気配。
またそれにしても今回は「湾岸くん」なる新キャラクターまで登場し、グッズも何十種に
増えた。前回はほんの数種類だったからなあ。
ちょっと遊びすぎ、やりすぎ、儲け主義に走りすぎじゃないの??

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殺人狂時代


日時 2003年7月20日16:15〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン

(公式HPへ)

1930年代、パリの銀行の出納係だったベルドゥ(チャップリン)は
不況のため解雇される。
彼の次に選んだ事業は金持ちの中年未亡人と結婚、そして殺害しその遺産を
手にする事だった。

チャップリンの映画は皆2回以上見ているがこれは1回しか観てないかも
知れない。
見直して解ったが、面白くないのだよ。

ラストの裁判シーンで「一人殺せば死刑だが、百万人殺せば英雄だ」の
有名なセリフですべてが足りてしまっている。
「モダンタイムス」以前、あれほどトーキーを嫌がっていたのに、
ラストのセリフ一つで映画を言い尽くしてしまう映画を作るようになった
チャップリンが不思議でならない。

その理由についてはチャップリン専門研究家に答えを譲るとするが
僕にとっては余り面白みのない作品だった事は確かだ。
彼独特のテンポあるパントマイムのお笑いシーンは全くと言っていいほど少ない。

まあ笑えるのはある婦人を殺そうとして毒を用意するのだが、メイドが誤ってその毒を
自分の髪の毛につけてしまうシーンや、その翌日、湖でボート上で首に縄を掛けて
婦人を殺そうとする所、そして別の女性との結婚式で先の婦人と鉢合わせに
なりそうになり右往左往するところぐらいかな。
それにしたって以前のチャップリン映画に比べれば、笑いのパワーは少ない。

それより薬局をやってる友人から聞いた毒薬を試そうと町に立っていた
女性を拾ってアパートで食事をさせるシーン。
なかなか彼女が毒入りワインに手をつけないのでドキドキするシーンは
ヒッチコックばりのスリリングなシーン。
いっそ笑いをステ、ヒッチコック風なスリラーでこの作品を演出してみたら
チャップリンの異色作となって別の評判になったかも。

チャップリンの反戦思想は解るが「独裁者」に比べれば数段格落ちしている
気がしてならない。


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犬の生活


日時 2003年7月20日15:35〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン 

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放浪者のチャーリー、今日も職にありつけずガッカリしていたが、
そこへ1匹の犬が他の犬からいじめられてるのを見つける。
自分と同じ物をその犬に見たチャーリー、その犬を飼う事にした。

チャップリン映画は時に好きになれないときがある。

善人映画の顔をしているがとんでもない卑怯なまねをする。
オープニング、ホットドック屋からソーセージをかすめとろうとしたり、
また中盤、ホットドックスタンドでパンのつまみ食いの連続をするシーン、
単なるこそ泥である。
それも警官の姿が見えると手を引っ込めるようなスケールの小さい。

また悪漢二人組が道でかぬもちから財布を奪いとって逃げる。
その二人組はチャップリンのねぐらとしている空き地にその財布を
埋める。
その財布はチャップリンの犬によって掘り返され、チャップリンは「大金が入った」
と大喜びする。
その後悪漢にその財布は取上げられるが、またチャップリンは取り返す。

おいおい、自分の財布を取り戻したような顔をしてるけど
元はといえば金持ちの財布だよ。
おまえが貰っていい筋合いのものではないだろうって気になってしまう。
しかもその財布のお金で酒場で知り合った女(エドナ・パーヴィアンス)
と田舎にいってのんびり暮らしてしまう。

今より貧富に差が激しかったから金持ちから財布を奪っても悪とは思われなかったのか??
別にチャップリンはアウトローヒーローとして描いてるようには見えないし。
「人生うまくやらなきゃいけないよ」それが当時の、あるいはチャップリンの哲学
だったのだろうか??

そんな風に考えるのはおかしいのかも知れないが、この作品が作られて90年弱、
製作当時と現代の世相のずれを感じてしまうのだ。

笑いどころをメモしておくと、犬を連れて酒場に言った時、ズボンの中に突っ込んだ
犬のしっぽがズボンの穴からでてドラムを叩くシーン。
悪漢から財布を再び奪い取ろうとして、向かい合ってるふたりにうち一人を襲い、
カーテンの陰から二人羽織りのようなことをして相手を安心させてぽかりと
ビール瓶で殴るシーンかな。

ホットドックスタンドのシーンと同じく長回しで彼のパントマイム芸を充分に
堪能させてもらえる。


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COSMIC RESCUE The moonlight generations

日時 2003年7月13日19:00〜 21:00〜
場所 品川IMAXシアター
監督 佐藤信介

「COSMIC RESCUE」は名画座に記載しました。

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バトル・ロワイアルU〜【鎮魂歌(レクイエム)】


日時 2003年7月12日19:00〜
場所 丸の内東映
監督 深作欣二 深作健太

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七原秋也(藤原竜也)がバトルロワイアルから脱出して3年、彼らはテロ組織
「ワイルドセブン」を結成し、都庁爆破を敢行した。
ある島に立てこもった彼らを掃討するため、政府はBR法を改正し、中学生に
七原秋也を殺させようとする。
選ばれた生徒たち(忍成修吾)は無理矢理戦場へと駆り出される。
果たして彼らの運命は?


最初の1時間ぐらいの迫力には圧倒された。
竹内力の教師が生徒たちを戦闘に参加させるところから始まり、
上陸作戦、そしてワイルドセブンの砦の攻撃にいたるまでの前半は
迫力の映像にただただ圧倒される。
上陸シーンは戦争映画の歴史を変えた「プライベート・ライアン」の
ノルマンディ上陸シーンを髣髴とさせ、その後もリドリー・スコットの名作
「ブラックホーク ダウン」にも勝るとも劣らない戦闘シーンが展開される。
思わず首をすくめるようなシーン続出だ。

これだけの現場を仕切った深作健太新監督をまず絶賛!

ところが七原秋也達と生徒たちが合流し始めたところから映画は回想シーンも
多くなり、やたら情緒的、演説的、説教的になってくる。

なんだかだれたなーと思っていたら、七原秋也の全世界へのインターネットを
通じてのメッセージが「『あの国』を怒らせた」と言って総理大臣(津川雅彦)が
登場。

竹内力の教師は「かつて『あの国』は日本を12歳の子供と形容した。しかし今
『あの国』は気に入らないという理由で攻撃する。これが大人のやることですか?」
と総理に詰め寄る。
総理は「今、世界は『あの国』を中心に回っている」と切り返す。
もちろんこの場合『あの国』とはアメリカの事だ。
こんなオブラートにくるんだ言い方などせずにはっきり「アメリカ」と言えばいいのに。
冒頭でも「日本、中国、北朝鮮・・・・」と国名を次々に挙げ、「これが何の国か
わかりますか?この60年にアメリカが攻撃した国です」とはっきりアメリカ批判を
したのに。

9.11のテロ以降、世界は変わった。
あの時から「テロ許すまじ」とテロを憎む気持ちと同時に「テロを受けるアメリカにも
問題はないのか?」と「反アメリカ」とまではいかなくても「疑アメリカ」のムードも
起こったことは確かだ。
映画は「反アメリカ」色を帯びてくる。

そしてクライマックスへ。
この最後の戦闘シーンも迫力があってよいのだが、一人死ぬごとに(かつての刑事ドラマの
刑事の殉職シーンのように)「俺たち仲間だよな」とか「俺はいい。おまえは生きろ」的な
青春ドラマのようなセリフの応酬になる。

なんだか映画のテーマが混乱してくる。
ワイルドセブン及び合流した生徒たちを自衛隊員が抹殺にくる。
生徒に殺された自衛隊員が「俺にだって家族はいるんだぞ」というセリフにあるように
人間に殺し合いをさせる国家批判もあれば、テロリストという存在を通しての
アメリカ批判もある。
しかしテロリストを通じてアメリカ批判をすると「テロリスト側が正義」みたいに見えてしまう。
テロリストを全面的に指示するわけにも行かず、結局ラストは「大自然の美しさの
前では人間の存在なんてちっぽけなもの」みたいな(強引な)まとめ方にしてしまう。

結局なにがいちばん言いたいのか解らなくなってくる。
まとまりもなくただ相反するようなテーマが噴出するだけ。
途中で脚本が混乱してしまったのだろうか?

それだけ戦争というものは複雑で多面的な問題だともいえる。
そのテーマから逃げることなく挑戦し、(たとえ混乱したとしても)大迫力の戦闘シーンを
作り上げた深作親子には賛辞を送ろう。

特に深作健太氏には次回作に期待する。
天願大介と並んで本格的な映画監督の登場となる可能性あり。
今回は深作欣二氏の遺産で撮ったようなものだが、健太氏のオリジナルカラーを
是非見てみたい。
また生徒役では主演級の忍成修吾の好演を記しておきたい。


蛇足
七原秋也のテロリスト組織名が「ワイルドセブン」ってのはなあ。
自分としては望月三起也氏のアクションコミックを連想してしまうので。



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独裁者

日時 2003年7月12日16:40〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン
製作 1940年(昭和15年) 

「チャップリンの独裁者」については名画座に記載しました。

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担へ銃


日時 2003年7月12日15:55〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャールズ・チャップリン 
製作 1918年(大正7年)

(公式HPへ)

上映時間40分の中篇。
第一次世界大戦のヨーロッパ戦線。
チャップリンの新兵は回れ右もロクに出来ないようなドジ兵隊として登場。

新兵訓練のドジぶりでまず笑わせてくれるが、その後、雨の塹壕シーン、
自分だけに来ない本国からの手紙シーンなど戦場の皮肉に満ちた笑いが
繰り広げられる。

やがて突撃となるのだが、チャップリンはうまくやったらしく(具体的な
戦闘シーンはない)何故か勝ってしまう。
その後、木に変装しての敵地潜入を行う。
そしてエドナ・パーヴィアンスとも出会い、最後には敵のドイツ皇帝を捕虜にして
陣地に帰るという大活躍。

「随分戦意高揚的映画だなあ」と思ったらすべてはオープニングで訓練を受けていた
新兵の夢だったというのがオチ。
「夢落ち」という単純な初歩的な笑いとも言えるが、「戦場で大活躍するなど
所詮は夢物語でしかない」というアイロニーにも受け取れる結末。

このあたりがチャップリンらしいと(やや強引だが)言えるかも。

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あゝ決戦航空隊

日時 2003年7月6日
場所 中野武蔵野ホール
監督 山下耕作
製作 1974年(昭和49年)

「あゝ決戦航空隊」については名画座に掲載しました。

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マトリックス

日時 2003年7月6日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 アンディ・ウォシャウスキー
ラリー・ウォシャウスキー

(詳しくはキネ旬データベースで)


「マトリックス・リローデッド」公開に伴い世間はマトリックスブーム。
「リローデッド」を見る前にとりあえず1作目も見てみる。
公開時に特徴あるアクションシーンは予告編等で見ていたけど
本編を見てみたら、意外にアクションシーンは少なかったというのが印象。
(最初と最後だけだものね)

キアヌ・リーブス扮するコンピューター会社のプログラマは
最近、眠れずに妙な夢を見ていた。
やがて彼は仲間とするメンバーに連れ去られ、未来の人工知能(AI)と
人間が争う世界へ向かう。
コンピューターのプログラム内に入り、エージェントと戦う彼ら。
果たしてどちらが勝つか?

こうしてストーリーをまとめてみたけど、果たしてこれであってるか
なんだか不安。
プログラムのなかでのエージェントとの対決とか、どこまでが現実世界で
どこからが仮想現実(バーチャルリアリティ)なのかよくわからん。
だがこの作品のストーリーは展開を楽しむより、人間の跳躍とか
壁をつたったり、拳銃の弾が止まったり、そういったアクションシーンを
つなぐためのあとづけ(悪く言えばこじつけ)と割り切って見てみれば
いいかも。

そんな中で途中、預言者というおばちゃんが出てくるが、妙に生活観があって
コンピューター世界の話なのにこの辺りがそのギャップが妙におかしい。


新しいとされたアクションシーンだけど、カンフーアクションとか
スーパーマン風のジャンプとか、意外とオーソドックスなことを
新技術でパワーアップして見せた感じ。
最後の地下鉄の対決シーンなんて完全に西部劇ののりだしね。
だがこの映画以降、映画界全体が「マトリックス風な作品」を作るように
なり、アクション映画の流れを変えたことは確か。

多分2作目はさらにパワーアップしてるのでしょう。
「リローデッド」「レボリューションズ」を見る心構えは出来ました。
好きか嫌いかでいうとあんまり好きじゃない。

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スパイ・ゾルゲ


日時 2003年7月5日14:10〜
場所 ヴァージン・シネマズ六本木 スクリーン4
監督 篠田正浩

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昭和16年、元朝日新聞記者、尾崎秀実(本木雅弘)と
ドイツ人ジャーナリスト、リヒャルト・ゾルゲが逮捕された。
容疑はスパイ行為。検察、警察の取調べに対し、彼らは昭和6年に
上海で出会ってから情報を流していった経緯を語りだした。

見た人の評判ではみんな微妙な言い方をする。
「つまらなくはない」と言ったようないい方をするのだ。

確かにフィクションをとりいれて話が盛り上がるような描き方は
してしない。
史実に忠実に(一種再現ドラマのように)中国侵略から2・26事件、
太平洋戦争突入までを描き出す。
スパイ・ゾルゲを描くというよりゾルゲという人間をきっかけに
昭和史を描き出す映画だった。

そして尾崎もゾルゲも死刑になる。
尾崎は「金のために情報を流したことなど一度もない」「日本国民を
裏切るような事はしない」と言い切る。
またゾルゲにしても貧富のない共産主義社会を実現するための
手段としてソ連に有利になるよう働いたとする。
尾崎にしてもゾルゲにしても平和な平等な社会を作るために働きたかっただけ。

だが国家のエゴが彼らの行為をすべてつぶしてしまう。
ゾルゲは途中スターリン政権からは軽視され、ドイツとの2重スパイ
の疑いがもたれる。
そして彼のソ連に残した妻はゾルゲの逮捕後、ナチのスパイとして
逮捕されてしまう。
ゾルゲが信じたソ連でさえ彼の期待にはこたえてくれない。

映画の最後はソ連がロシアに変わり、東西の対立、共産主義と資本主義
の対立の象徴であったベルリンの壁の破壊を映し出す。
ゾルゲが信じたソ連も、約半世紀後に崩壊してしまう。
ゾルゲの思いが通じなかったむなしさが静かに漂う。

しかし映画のエンディングで流れる「イマジン」は明らかに蛇足。
いや、いいたい事はわかるのだが、そんなジョン・レノンの詩を引用しなくても
篠田正浩の思いは、ゾルゲと尾崎を描く事で充分に伝わってくる。
但しインパクトは弱かったが。そこが惜しい。

そして戦前の上海、昭和初期の東京をを再現したCGは立派。
しかしデジタルハイビジョンカメラのせいか、画像がきれいになりすぎ、
時折(朝日新聞の有楽町本社など)妙に書き割りっぽく見えたのが残念。
また町並みが妙にきれい過ぎて生活観のなさが感じられてしまう。
さらに画面がクリアすぎて逆に質感がない気がする。
私自身は「新しい技術の導入は慎重に」という考え方なので
(新しいものはまだ技術としての安定性が出来てないという理由で)
今回、これだけの技術の導入はまだ早かったかも。

篠田監督はこの作品で監督として引退を表明した。
それにふさわしい渾身の一作。
満足は出来た。

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さよなら、クロ


日時 2003年7月5日9:00〜
場所 新宿東急
監督 松岡錠司

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今日本でいちばん期待の若手俳優、妻夫木聡の主演作。
夏休み映画らしい動物もの。

60年代末の長野県のある高校。
その学校に一匹の真っ黒な犬が迷い込んでくる。
学園祭の仮装行列で西郷隆盛の銅像の犬役をやったことが縁で
木村亮介(妻夫木聡)になつき、学園祭が終わっても学校にいついてしまう。
犬嫌いの先生(塩見三省)もいたが、クロと名づけられたその犬は
学校にとってなくてはならない存在になる。

それほど面白くない映画なのだが、面白くない理由が出てくるエピソードが
バラバラなのだよ。
主役はクロなのか、妻夫木なのか、その辺のスタンスがはっきりしていない。
亮介と雪子(伊藤歩)と孝二(新井浩文)との恋の三角関係のエピソードを
描き、クロが出てこなくなったと思ったら、孝二はバイク事故で死亡。

そして物語は10年とび新たな在校生の物語になる。
それままこの新しい在校生の話になるかと思えば、妻夫木が又出てきて
クロの手術をしたりする。

クロが中心でもないし、妻夫木でもなく、世代ごとの在校生のエピソードの
オムニバスかと思えばそうもならない。
このあたりの混乱振り(まとめの悪さ)が映画全体を散漫な物にしてしまう。

最後のクロの手術を妻夫木が行うというのも、例えば
「何かのきっかけで獣医としての自信をなくした妻夫木がクロの手術を行う
ことにより再び自信を取り戻す」といったクライマックスになって入れば
もっと盛り上がったものになったろうけど。

硬軟、悪役善役両方の役がこなせそうな魅力を持つ妻夫木だが、本領発揮とは
ならなかったようだ。残念。


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