2004年4月

グッバイ、レーニン!
エレファント 殺人の追憶 現金に体を張れ 昆虫大戦争
太平洋の鷲 アワモリ君乾杯! 恐怖のカービン銃 女王蜂の逆襲
カックン超特急 蛇精の淫 怪談海女幽霊 ロード・オブ・ザ・リング
王の帰還

グッバイ、レーニン!


日時 2004年4月29日16:40〜
場所 恵比寿ガーデンシネマ1
監督 ヴォルフガング・ベッカー


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ベルリンの壁の崩壊の直前、テレビの修理の仕事をしているアレックスは
改革を求めるデモに参加し逮捕される。
だが学校教師として社会主義のために懸命に生きる母にその姿を見られてしまう。
母はショックを受け、舗道に倒れこむ。その衝撃で心臓発作を起し昏睡状態に
陥ってしまう。
やがて母は目覚めるがそのときはベルリンの壁は消滅していた。
母は今度精神的ショックを受けると死んでしまうかも知れない。
アレックスは母にショックを受けさせまいと、まだここは社会主義世界だと
母に信じ込ませようと懸命になる。


例えば、実は都会の食堂で皿洗いをしている青年が、田舎の母親に心配をかけまい
として「今自分はフランス料理店の支配人をしている」という手紙を書く。
ところが母親がやってくることになって、青年は母親を騙そうとして同僚に
協力してもらうが、そこがうまくいかなくて・・・・
と言ったアウトラインの喜劇は吉本新喜劇などでよく見かける。
「グッバイ、レーニン!」の話を聞いた時、この吉本新喜劇的な
面白さと東西ドイツ統一という歴史的素材をどう組み合わせたのか興味が
沸いた。

で、見終わってみたら半ば期待した「吉本新喜劇」色は薄く、しかも
東西ドイツ統一の歴史的事実すらちっぽけに見えてしまうつくりに
少し驚いた。

もっとも「吉本新喜劇」色は日本人には実はよく解らなかっただけかも
知れない。アレックスが母親が食べたいといった瓶詰めのピクルスに
やたらこだわるが、あのブランドは余程人気の物なのだろうか?
例えば「永谷園の〜」というようなものだったら、かなり爆笑物だった
ことが考えられる。
しかし満席の客席では多少の笑いはあったかも知れないが、爆笑とまでは
行かなかったと思う。

そして母親にショックを与えないために「ドイツは統一されたが、それは
東側の主導によるものだった」というニセのニュース番組を作る。
資本主義に疲れた人々が東側になだれ込んできたとニュースはいう。
確かに資本主義的競争社会は一見うまく行ってるようだが、実は結構窮屈だ。

このシーンは一見すると社会主義の肯定、郷愁にも見えるが、そのニュースに
冒頭登場する(ニセ)新首相は元宇宙飛行士だ。
そしてこの映画に貫かれているのは宇宙的観点だ。
主人公が子供の頃宇宙飛行士にあこがれていたとか、衛星放送の仕事につくとか
同僚が「2001年宇宙の旅」のオマージュ映像を撮影、編集しているとか。

この映画は社会主義への回帰を願ったりはしない。
社会主義、資本主義の両方の欠陥に触れつつ、もっと大きな観点にたった
住みよい世界が出来る事を願っているのではないか。
要は西だ東だ、資本主義だ、共産主義だ、はたまたアメリカだ、イラクだ
などというのは小さな話、宇宙的観点に立って物を見て平和にしようということ。

そういうスケールの大きな世界観は、SFドラマで語られることが多かったが、
この映画はSFではなく(アレックスとその同僚が作ったニセのニュース番組が
ある意味SF映画なのだが)、母と子のドラマ、ひとり亡命した父親との再会
などのホームドラマで語ろうとしている。

その辺のアイデアの面白さ、語り口のソフトさがこの映画の魅力なのだと思う。
ドイツで大ヒットしたのもうなづける。


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エレファント


日時 2004年4月25日17:30〜
場所 シネセゾン渋谷
監督 ガス・ヴァン・サント

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2003年カンヌ国際映画祭パルムドール&監督賞のダブル受賞作品。
1999年のアメリカのコロンバイン高校事件をモチーフにした映画だ。

ただし事件の詳細を特別に再現しようとしたりはしない。
登場人物たちはすべて新人の素人俳優で映画中のセリフもほとんど即興で
撮影していったものだそうだ。
コロンバイン高校の生徒たちが特に特別だったわけでなく、
「アメリカのどこの高校でも起こりえた事件」として捉えているようだ。

カメラは生徒たちを、彼らの生活を記録しようと追いかけている。
惨劇が起こるまでの映画の前半は生徒たちのある一日を淡々と捕らえていく。
そこには目立ったドラマはない。
描かれる風景はごく日常的だ。
ジョンはアル中の父親を持て余していて校長先生に遅刻を注意されたり、
写真部の生徒は町の人や友達の写真を撮ったり、仲良し3人組
の女の子はカッコいいアメフト部の男の子には彼女がいるのかと噂したり、最近彼氏が
出来て付き合いが悪くなったと喧嘩したり、図書館で本の整理をする暗い感じの
女の子がいたり、同性愛・異性愛研究会で討論会をしている子もいる。
いじめられていた子がインターネットで銃を手に入れそれを手に学校へやってくる。

そして殺戮がはじまる。
派手な音楽はなく、サスペンスフルな演出もなく、その殺戮を淡々と描く。
音楽はピアノソロで「エリーゼのために」が淡々と流れる。かえって恐い。
この静かな音楽と画面の残酷さの落差が映画をより衝撃的にする。

生徒の中には銃声しか聞こえなかったとき、「なんか爆発?授業がなくなるといいなあ」
などと言ってみたりする。
そんな反応が「まさかそんな事件が起こっていると思わない」彼らの心理を
忠実に描き出す。

銃声が一発鳴るたびに私は怖くなった。
映画の銃声で恐くなったのは久しぶりだ。
淡々とした描き方がかえって恐怖を呼ぶ。
生徒達の殺戮の途中でこの映画は終る。

映画は答えを出さない。
この事件の原因をイジメだからとも言わない。銃が簡単に手に入ったから
だとも言わない。犯人の生徒の家庭環境に問題があったとも言わない。
何もこの映画は教えてくれない。
教えてくれるのはこういうどこにでもいるような、自分の友達のような、
自分の昔の姿をみるような、そんな生徒たちに起こった事件だということだ。

まるでこの事件を経験させることが目的のように見える。
映画という形で事件を追体験してもらうことがこの映画の使命であるかの
ようだ。
そして事件を追体験することにより、この事件を自分の事件として考えてもらいたい
と言っているかのようだ、決して他人の事件とすることなく。
その先に見えてくるものは・・・・観客一人一人の中にあるのだろう。
私たちはこの映画の事実を対岸の火事で済ませてはならない。
明日の日本にだって起こるかも知れない。
いや、似たような事件はもうたくさん起こっているではないか。



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殺人の追憶


日時 2004年4月25日14:10〜
場所 シネマスクエア東急
監督 ポン・ジュノ

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評判のよさにつられて見に行く。
確かに(そこそこ)面白い。
しかし私は最終的には面白くなりきれなかった。

原因ははっきりしている。
この映画は韓国での未解決事件を映画化したものだ。
つまり犯人はつかまっていない。
映画を見る前から私はそれを知っている。
だから映画途中でどんなに犯人に肉薄するシーンがあっても
「どうせ犯人じゃないんでしょ」とこちらのテンションは下がりっぱなしだった。

たとえばこれが「99%クロだが、物証がない」とかで犯人を暗示させるならともかく、
DNA鑑定でシロと出た以上もうこの男が犯人とはありえなくなってしまった。

途中途中では森の中でオナニーしていた男を一旦は取り逃がしたが、工事現場で
発見するシークエンスや、やっと見つけた目撃者を鉄道事故で死なせてしまう
所などそれなりの盛り上がりはある。
またラジオにリクエストするハガキを追ったり、一方では風呂めぐりをして
毛の薄い男を探したり、硬軟両方から捜査をするあたりはそれなりに面白い。

だが僕にとっては「犯人はつかまらない」というネタバレをしてるので
犯人を教えてもらってから読む探偵小説のごときでイマイチ乗り切れず、
すべて「それなりに」のレベルでとどまってしまった。

そうは言ってもラストシーン、今は刑事を辞めた田舎刑事の方が現場に帰ってきて
犯人も再びこの地に来ていたことを知るシーンは、この結末のつけようもないドラマで
秀逸な結びにはなっていた。

それにしてもラジオのリクエストや被害者がきていた赤い服など謎は多々残る。
真相を知りたい衝動にかられる。


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現金に体を張れ


日時 2004年4月24日
場所 録画ビデオ
監督 スタンリー・キューブリック
製作 1955年(昭和30年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


刑務所帰りのジョニー(スタンリー・ヘイドン)は競馬場の現金を奪うことを
計画、競馬場の従業員、警官などを仲間に引き入れる。
だが仲間のひとりの競馬場の現金出納係はいつも妻に馬鹿にされていて
つい自分たちの計画をしゃべってしまう。
その妻は若い男と浮気していて、その男はジョニーが奪った現金をすべて
強奪しようと計画する。
そして決行の日がやってきた。
彼らの計画は成功するのか?!


スタンリー・キューブリックの初期の傑作。
解りにくい作品を作り出す前のまだ普通の映画を撮っていた時代の映画だ。
キューブリックの作品は全部見てるわけではないが、「博士の異常な愛情」を
除けばほとんど好きではない。
(「2001年宇宙の旅」も解りにくくて私は好きではない)

1時間半の短い映画で、決行の日になるまでの50分ほどは現金出納係の
妻のグチのシーンがだらだらとあったりしてやや退屈。
だが当日になって計画が進行していくと俄然、面白くなる。
未見の方のために詳しく書く事は避けるけど、最後の最後で計画がパタパタと
崩れていく。

ラスト、空港でカバンが○○てしまうカットになったとき、私は
思わず「あっ!」と叫んでしまった。
このラストの展開はいいなあ。
飛行機についての下調べをよくしておけば、そしてカバンを安物を買わずに
丈夫なものを買っておけばよかったのに。
昭和30年当時では飛行機もいまより一般的でなかったろうから、
知らなかったもの無理はないだろうけど。

最後にジョニーが引き際がよいのも気に入った。
後のこのジャンルの映画にも影響を与えたこと間違いなしの作品。
キューブリックもこういうわかりやすい作品ばかり作ってくれてれば
よかったのになあ。


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昆虫大戦争


日時 2004年4月24日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 二本松嘉瑞
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


「吸血鬼ゴケミドロ」「吸血髑髏船」とセットにされることが多い
松竹SFホラー3部作の1本。

日本の南海で水爆を登載した米軍の爆撃機が昆虫の大群によりエンジンが爆発し
墜落した。
米空軍は直ちに捜索隊を派遣。爆撃機の搭乗員は近くの島に一旦上陸したが
やがて昆虫の大群に襲われて死んでしまう。
島で昆虫採集をしていた譲治(川津祐介)は拾った米軍パイロットの腕時計を
持っていたために搭乗員の殺害容疑で逮捕されてしまう。
譲二逮捕の知らせを聞いて東京の昆虫学者(園井啓介)が駆けつける。
だがこの島では恐ろしい計画が進められていたのだ!

話の細かいところはかなり強引だ。
川津祐介は新婚にも関わらず昆虫採集と称して山へ行き、何故かそこにいる
金髪レディと浮気しているし、川津の妻(新藤恵美)は島の観光ホテル(と言っても
部屋数10室ぐらいな感じ)に勤めてるがその支配人に何かと後ろから襲われてる。

なんだか話がバラバラだなあと思っていたら、登場人物のひとり(誰なのかは
見てのお楽しみ)がアウシュビッツの生き残りでその復讐でこの島で殺人昆虫の研究を
していたり、こんな僻地の島なのに東側のスパイ(でも日本人です)がいたりする。
それで生き残りのパイロット(チコ・ローランド)はベトナムで戦争の恐怖から
逃れるために麻薬を憶えていたり、過去現在の大小の戦争ひっくるめたスケールの
大きな(大雑把とも言える)作品。

考えてみたらこの映画は昭和43年。まだ終戦から23年しか経っていない。
今から23年前は80年代の始まりだったわけだから、私の歳ぐらいになると
23年ぐらいはそんなに昔に感じられなくなる。

そんで主要人物はしまいには殺人昆虫に殺されてしまい、米軍は水爆の事故隠しと
殺人昆虫撲滅のため島で水爆を爆発させるという強引さ。
島からボートでひとり脱出していた川津の妻(妊娠中)が呆然と悲しそうに
キノコ雲を見つめている。
そのあとがすごくて夕陽のドアップ!
まるで大島渚の映画に登場する日の丸みたいで日本を象徴しているのか???
ここで映画は唐突に「終」の一字。

結局、殺人昆虫は死滅したのか?
死んだ2名のパイロットの死体には殺人昆虫の卵が付着していたが
あれはアメリカ本土で孵化してしまうのでは?
人類に未来はあるのか?
数々の疑問を残しつつ、この映画は暗い結末でおわる。

昆虫に襲われるシーンはそれほど恐怖感をあおるような演出はしていないが
それでも人間の皮膚に噛み付く昆虫のアップは恐い。

この時代のSFはすべて核兵器と東西冷戦を恐怖の原因にしており、
核兵器のせいにしておけばなんでも話が成り立つので、どこまで本気で
核兵器反対をメッセージにしていたのか最近疑問に思うが、
子供心にホロコーストや核戦争の恐怖を植え付けようとさせるのは
いいことだと思うよ。

やっぱり戦争は理由はどうあれ止めなきゃいけないんだしさ。


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太平洋の鷲


日時 2004年4月15日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 本多猪四郎
製作 昭和28年

(詳しくはキネ旬データベースで)


三国同盟締結から山本五十六の死までを描く戦争映画。

まず最初の30分は三国同盟成立まで。
今まで見た映画では山本の反対論ばかり描かれ、陸軍を中心とする
三国同盟推進派の意見が描かれる事はなかったが、この映画では陸軍の意見も
出てくる。
曰く「泥沼化した中国戦線にソ連を参戦させないために、ドイツと組んで
ソ連を両面から封じ込めよう」という陸軍側の緊迫した事情があったという事だ。
山本長官のアメリカ参戦論はやはり心配性に過ぎるとの意見も納得してしまう。

そしてその後真珠湾攻撃へ。
その前に山本長官のお決まりのセリフ「開戦後1年や2年は存分に暴れて見せます。
しかしその後のことはわからない」や「個人の意見とは正反対の決意を固め、
今の心境は誠に変なものなり」の手紙も出てくる。
真珠湾攻撃シーンそのものは「ハワイ、マレー沖海戦」からの流用。

続いてミッドウエイ作戦。
最初のミッドウエイ島攻撃シーンは「加藤隼戦闘隊」の流用と思われるカット多数。
しかし赤城の甲板上での魚雷と爆弾の交換シーンはこの映画のためのオリジナル。
赤城の甲板セットはなかなか立派なもの。

またミッドウエイ海戦シーンは、赤城の艦橋の苦悩のシーンだけでなく、
無電を傍受した大和の山本長官がジリジリと戦況の経過を見守り、
不安を心に秘めつつも「あと30分もすれば空母攻撃の連絡が入るでしょう」と
出来るだけよい結果を信じようとするシーンは今までみたミッドウエイ映画には
ないシーンで、ハラハラした。

そして山本長官の敵情視察の途中での死を描いて映画は終る。

全体的に記録フィルムなどの挿入も多く、実機を整備している整備兵のシーンも
本物だと思うと迫力を感じる。
また撃墜され、空中分解して落ちていく戦闘機も本物だと思うとこれは特撮が
いくらすごくてもやっぱりかなわない。

しかしながら音楽の使用も少なく、戦闘シーンなどは映画的な盛り上がりに
欠け、実に淡々とした演出。
ドキュメントっぽい演出を目指したのかどうか、その辺ははっきりしないけど、
スペクタクル映画としては面白みは少ない。

しかしこの映画が昭和28年だということを考えるとまだまだ太平洋戦争を
娯楽的視点でとらえることにも抵抗があったのかも。
何しろまだ8年から10年前の話だから、遺族の方への精神的影響も大きかった
時代だろうし。

「ゴジラ」直前の特撮映画、また本多=円谷の初コンビ作品ということを
考えるとき、東宝特撮史には欠かせない作品といえるだろう。


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アワモリ君乾杯!


日時 2004年4月11日21:15〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 古沢憲吾
製作 昭和36年

(詳しくはキネ旬データベースで)

予備校生のアワモリ君(坂本九)と売れない漫才師の息子、大学君(ジェリー藤尾)
は高校時代からの仲良し。
ある日、子犬を拾ったアワモリ君、飼おうと思った洋品店を経営する父親(有島一郎)
に猛反対。止む無くもう一度捨てるアワモリ君だったが、どんな人が拾ってくれるか
心配で見ていると、きれいなお嬢さんが拾ってくれた。
そのきれいなお嬢さんは昔殿様だった人の家に住んでいた。
何とかデートにこぎつけたアワモリ君、自分のことをつい早慶大学のインド哲学科と
言ってしまう。

古沢憲吾特集での上映。
もともと見る気はなかったが、この映画に「世界大戦争」の撮影風景が出てくると
聞いてそれが目的で見に行った。
それについては後で書くけど、全体的に「若大将」と「無責任シリーズ」を
ミックスして薄めた感じ。

有島一郎のとぼけた父親ぶりが「若大将」っぽいし、町中で歌ったりとか
突然、街灯とか階段しかないセットに切り替わって坂本九が一曲歌ったりの
歌の要素が翌年からはじまる「ニッポン無責任時代」の前兆にも見える。
但し映画自体は白黒なのでちょっと格下な感じは否めないが。

途中で田武謙一を親分とする銀行強盗の一味の金の入ったカバンとジェリー藤尾の
カバンが入れ違ってしまい、ジェリー藤尾の家は突然金払いがよくなったりする
シーンは笑わせる。
で、田武謙一たち(子分が石井進)がジェリー藤尾を突き止めるが、
銀行強盗ということでアワモリ君とジェリー藤尾は逆に田武謙一たち捕まえようと
する。
逃げる田武謙一たちが逃げ込んだ先が映画の撮影所。

ここで撮影されていた映画が松林宗恵監督の「世界大戦争」。
フランキー堺や乙羽信子、星由里子、松林監督も出演する。
撮影されていたのはフランキー堺の家で宝田明の恋人のことを父親に打ち明ける
シーン。
(フランキー堺たちはこの映画のクレジットには確か登場しない)

それだけでなく次に田武謙一&石井進が紛れ込んだのは撮影所の倉庫。
これが特撮倉庫らしく、棚には数々の電車や車のミニチュアがあり、幼虫モスラや
成虫モスラも置いてある。
それでしまいにはでっかい幼虫モスラに田武謙一&石井進は追っかけられたりする
というサービス付。

正直言って大したコメディではないけれど、この最後の撮影所のシーンだけでも
東宝特撮ファン必見ですね。
あとパチンコ屋のシーンで坂本九たちに絡むチンピラ役でセリフ一言、後姿だけだが
二瓶正也も出演(ノンクレジットだが多分間違いない)。

それにしても坂本九、やっぱり歌うまいなあ。
今生きていればどんな活動をしていたろうか。


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恐怖のカービン銃


日時 2004年4月10日29:45〜
場所 テアトル新宿
監督 田口哲
製作 昭和29年(1954年)

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「新東宝映画デジタルオールナイト」5本目。
但し朝の5時45分からの上映。浅草東宝のオールナイトなら
とっくに終わっている時間から上映。
SPなので終るのは6時半だが、正直つらい。

実を言うと半分は寝たので本当はこの映画については語る資格がない。

オープニングに「この映画は実際にあった事件を元にしたセミ・ドキュメンタリーです」
という字幕が出る。
実際の事件の映画化はよくあるが、「そういう事件が起こった背景を探り何かを告発する」
と言った社会派的視点はない。

新聞記者の事件解説的ナレーションを交えながら再現ドラマに終始した感じ。
「事件の犯人は自動車ブローカー(今で言う中古業者か)でこの不況下、
車を売る人はいても買う人はなかなかいない。それで金に困った犯人たちは
保安庁の役人を誘拐し、役所の金庫を開けさせて・・・」
といったように事件解説をしてくれる。

そして最後は主犯の天知茂は逮捕され、警察に連行されるシーンは大勢の野次馬で
いっぱいになる。
ラストは事件記者の「このような卑劣な犯罪は許されるはずがないし、また引き合う
物ではない」といったナレーションで締めくくられて終了。

天知茂の初主演作だが、それ以外には取り立てて見るべき要素はなかった。


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女王蜂の逆襲


日時 2004年4月10日28:15〜
場所 テアトル新宿
監督 小野田嘉幹
製作 1961年(昭和36年)

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朝の4時過ぎからの上映。
悪いが少し(?)寝た。

内容は鬼怒川温泉に銀座のヤクザの元女親分が昔の知り合いを訪ねてやってくる。
しかしその友人はいま元湯の権利を巡って新興実業家(実は鬼怒川温泉を乗っ取ろうと
している悪い奴)と対立していた。
そこへ天知茂扮する流れ者もやってくる。

「女王蜂」っていうから悪女が男を利用してのし上がるような内容かと思ったら
そうではなく、なんだか東映の藤純子ヤクザ映画と日活の渡り鳥シリーズを
ミックスしたような映画。
さしずめ天知茂が宍戸錠の役回り。

最初の鬼怒川温泉の祭りのシーンで、3つのタバコのピースの一つの裏に印を
付けておき、3つをテーブルの上で位置を変えて印がついてるのがどこにあるのか
あてさせるギャンブル、昔の縁日の屋台にはああいうのもいたのか?とちょっと
思った。
でもあれと同じのは見たことないけど、子供の頃、口上がうまくて聞き入った
ことはありましたね。
映画とは直接関係ないけど。


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カックン超特急


日時 2004年4月10日27:00〜
場所 テアトル新宿
監督 近江俊郎
製作 昭和34年(1959年)

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由利徹と南利明のコンビがトラック便の運転手と助手に扮したコメディ。
オープニングで、故障して道に止めたトラックを由利徹が修理している。
修理が終わり、「動かしてみろ」といわれた南利明は由利徹をひいて
ぺしゃんこにしてしまう。
そこで南利明はじょうごで水をかけたり、空気入れで由利徹を膨らまして
生き返らせる、というかなり強烈なギャグからはじまったので少し期待したが
その後これを越えるような強烈なシーンはなし。

東京行き直行便を命じられた二人は途中で女の子のグループに食事を奢らされたり
崖の下に落ちた美女のカバンを拾ったらその美女の男があとから出てきたりと
お決まりのパターンの小話が続くが大して面白くない。
そしてついたのが目的地の新東洋映画撮影所。
ここでは由利徹の出演映画が撮影中で、撮影をサボってこない由利徹(実名)と
運転手の由利徹が間違えられて・・・というような大して面白くない展開。

ただしこの撮影所のシーンでは高嶋忠夫と久保菜穂子、大空真弓がサインを
せがまれるスター役で実名で出演。あと映画監督役で藤村有広も出演。
また江木俊夫が子役で出演していた。芸暦長いんだなあ、この人。

ちなみに監督の近江俊郎、歌手としてももちろん有名だが、大蔵社長の実の弟
でもある。


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蛇精の淫


日時 2004年4月10日25:30〜
場所 テアトル新宿
監督 曲谷守平
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


要するにこの映画は東宝の「白夫人の妖恋」の新東宝版である。
「白夫人〜」は中国が舞台だったが、今回は日本の山奥の部落でのお話。

白蛇に魅入られた部落の青年が、蛇の見せた幻想に一度は虜になるが
母親たちによってその幻想から目を覚ます。
しかし青年への思いが断ち切れない白蛇は今度は村の長の娘に取り付き、
その姿で青年との結婚を迫る。
部落青年だというので村の長は一度は反対したが、結局、結婚を許すのだが・・・

といった内容。
「部落の人間は蛇の魔力でも借りなければ部落からは抜け出せないのだ」
といったような社会的なメッセージになるのかと途中一瞬思ったが
そういう方向には話は進まず、ひたすら蛇の魔性の愛に終始する。

蛇が変身した美女がひたすら妖艶で、体をくねらせ青年に体を絡めていく姿は
ひたすらセクシーで淫靡。
裸になるより妙にセックスアピールがあるのだよ。
また蛇の作った幻想の家にいるのを助けにきた母が見た「岩の上で蛇に
まとわりつかれた息子があえいでいる姿」、これが不思議といやらしい。
気持ち悪いけどいやらしい。
蛇の姿が男根を思わせるいやらしさをもともと持っているからだろうか?

最後は蛇から息子を救おうとした母親たち村の衆が何十匹という蛇に
襲われる姿はホラー映画の定番的シーン。

やっぱり蛇というものは気持ち悪さもあるが、男根や縄に姿が似ていて
エロティックな要素をもっている分、ホラーとの相性もいいのかも知れない。
新東宝エロティックホラーの快作。
お薦めの一本といえる。


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怪談海女幽霊


日時 2004年4月10日23:45〜
場所 テアトル新宿
監督 加戸野五郎
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


テアトル新宿の新東宝映画デジタルオールナイト。
新東宝映画は他社の作品に比べると上映の機会が少なく、僕自身も
「明治天皇もの」ぐらいしか見たことがなく、新東宝の主流だったエログロ路線は
ろくに見たことがないので、たまにはいいかと。

ある港町で幽霊騒ぎが起こっていた。幽霊が現われ行方不明者が続出したのだ。
そんな騒ぎの中、町の駐在の依頼を受けてやってきた池田警部補(明智十三郎)は
被害者に共通項を見出す。
どうやら終戦直後に海で遭難した網元一家を乗っ取ったメンバーに対する
復讐らしいのだ。
池田警部補はついに犯人に到達する。

怪談というより(安っぽい)ミステリー。
大したひねりもなく、犯人は大体想像できる。
海女も別にストーリーに大して関係なく、夏だから「怪談でしかも海女を出そう」
というイージーな発想。この辺の安っぽさ、解りやすさが新東宝の魅力と言っていいらしい。
海女が海中をおっぱいを揺らしながら泳ぐシーンは妙にそそられるものがあったのは
確か。きっと当時も固定ファンがいたのだろうな。

それにしても明智十三郎、いかにも名探偵のような芸名だが新東宝では時代劇中心に
活躍されたスター。別に江戸川乱歩の明智小五郎とは関係なかったようだ。



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ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還


日時 2004年4月3日18:15〜
場所 新宿ピカデリー1
監督 ピーター・ジャクソン


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何度も書くが私は「ロード・オブ・ザ・リング」がダメなのだ。
非常に評判はいいのだが、私には何も引っかかるものがないのだ。

主人公が小汚いとかゴラムが気持ち悪いとかは1作目2作目の
感想で書いたから今さら書かないけど、見てる間中ずーっといやだった。
特にゴラムが途中で倒されてホッとしていたら、また最後に出てきた
のには腹が立つより苦笑した。

「ベンハー」とかの史劇物と同じでこういう西洋チャンバラ的なスペクタクルには
どうも私の体は反応しないのだ。
さすがに大決戦シーンはその迫力に圧倒されたが、かといって作品全体を
好きになれるほどの魅力は感じなかった。

「技術的には『スターウォーズ』を抜いた」という意見を友人が言っていたが
それは同感だ。
最近の「スターウォーズ」は「CG見本カタログ」見たいなあざとさが見えたが
このシリーズではそれは感じない。
2作目を見た時、「モッブシーンはすごいがCGでは物足りない」というような
感想を持ったが、いまやCGとか実写とかわけて考えるのは無意味になるくらい
不自然さがなくなった。

ニュージーランドの映画産業はこれからハリウッド映画のロケ地として
大いに利用され発展するだろう。
そしてこの10年の映画の中でもっとも壮大な映画として記憶されるだろう。
それまであまり有名でなかったピーター・ジャクソンだが、これだけの
大作を成功させるのだから、なかなかどうしてすごい男だ。

次回作に予定されている「キングコング」のリメイクに期待したい。


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