朝日映劇Presents
<イベントレポート> 当事者ではない視点で描く震災後の夫婦の23年間。映画『れいこいるか』 いまおかしんじ監督、武田暁さん、河屋秀俊さん、西山真来さん関西公開舞台挨拶(CINEMATOPICS) 『れいこいるか』田辺泰信さん&上野伸弥さん舞台挨拶開催しました!(元町映画館) 『れいこいるか』いまおかしんじ監督&河屋秀俊さん&武田暁さん&西山真来さん舞台挨拶開催しました!(元町映画館) いまおかしんじ監督が関西在住キャストで描く震災からの日々 『れいこいるか』、地元の元町映画館で舞台挨拶(CINEMAGICAL) <批評・紹介> 「れいこいるか」(Filmarks) 「れいこいるか」(映画的日常) 人を魅了する才能とは?! アイドル論爆発?!(☆花夢on MATERIAL vol,10) (26分ごろからの紹介) 阪神・淡路大震災テーマの自主映画「れいこいるか」 元町映画館で上映へ(神戸経済新聞) いまおかしんじ監督インタビュー 「阪神・淡路大震災の“その後”を描く」映画『れいこいるか』絶賛公開中(マゴチャン-MOVIE A GO GO) 評者◆睡蓮みどり 映画はフィクションだ。だけど……トレヴァー・ナン監督『ジョーンの秘密』、いまおかしんじ監督『れいこいるか』(図書新聞) 「れいこいるか」のこと(下社敦郎) 故人と対話するための装置。大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館』、 いまおか監督『れいこいるか』(日刊サイゾー) 人間性を解放する奇想 映画「れいこいるか」(日本経済新聞) ぴあ 水先案内人のおすすめ 高崎俊夫 「れいこいるか」(ぴあ) 南無ってシネマ 出張版⑩「7月の上映作品で打線を組みました(7月の振り返りと8月のオススメ)」 (元町映画館) 映画『れいこいるか』感想評価と考察解説。タイトルが意味深い⁉︎阪神淡路大震災で一人娘を亡くした夫婦の物語|銀幕の月光遊戯 66 (Cinemarche) 映画の友よ Vol.153 <いまおかしんじ監督に撮らせたい!『れいこいるか』個人で自主制作、川本プロデューサーインタビュー>(切通理作メルマガ) キネ旬レビュー(キネマ旬報) 喪失感胸に「今」生きる 震災で娘亡くした夫婦描く 元町映画館、来月8日から公開 ほぼ全編神戸ロケ /(毎日新聞兵庫版) シネマトゥデイ「れいこいるか」予告編(シネマトゥディ) 震災で娘を亡くした夫婦の葛藤と絆を描く、いまおかしんじ監督 最新作『れいこいるか』公開決定!予告編解禁!(シネマNavi) 阪神・淡路大震災から 25 年。震災で娘を亡くした夫婦の葛藤と絆を描く、いまおかしんじ監督最新作『れいこいるか』公開決定&予告解禁(映画ナビ) いまおかしんじが愛娘を震災で亡くした夫婦描く「れいこいるか」8月に公開(映画ナタリー) いまおかしんじ監督作『れいこいるか』公開(PG-WEB-SITE) |
朝日映劇、いまおかしんじ、「れいこいるか」 話は端折るが、2007年に「朝日映劇」という自主上映イベントを開催するサークルを立ち上げた。サークルといってもメンバーは実は私一人である。「朝日映劇」という名前は私の故郷にあった2番館の名前。初めてゴジラ映画を観たのはここではなかったかと思う。 朝日映劇の上映会は特撮映画だけに限らず「日本のいちばん長い日」や「休暇」と言った映画にも及んだ。 そんな頃出会ったのが銀座シネパトスで上映された「白日夢」だった。 続けて2回観た。自分でも上映会を企画し、いまおかしんじ監督との交流が始まった。 上映会のネタも尽きた頃、池島ゆたか監督がファンの提供した資金で「おやじ男優Z」をお撮りになった。 「あっ、それもありか!」 私も「いまおか監督と映画を撮ろう!」と決意したきっかけは実は「おやじ男優Z」なのです。 2014年11月、いまおか監督に映画製作を打診する。そんな話を想像もしていなかったであろういまおか監督はかなり戸惑った様子。 「川本さんも何か企画を出してください」と言われ、脚本を書いた。 最初はそれをベースにいまおか監督も作ろうとしていたが(たぶんお金を出してくれるのだから気を使ったのだろう)、結局どうにもまとまらず、いまおか監督から「これをやってみたいのですが」と言って送られてきたのが後に「れいこいるか」になる「フルシチョフカ」だった。これが2015年の11月。 私も賛成し、企画が具体的に動き出した。 2016年は1年かけて佐藤稔さんが脚本を練った。 神戸で撮ると聞いたのはいつ頃だったろうか? 私は「震災で娘を亡くした夫婦の話」なので今撮るなら東日本大震災に話を置き換えると思っていた。しかも話は20年に渡る。 2016年1月の追悼集会にいまおか監督や佐藤稔さんはシナハンに行っているから、監督は最初から神戸で撮るつもりだったのだ。 心配なのは予算の方だ。私は東京で数日で撮影する規模の映画をイメージしていたのだから。 「大丈夫ですか?」と心配する私にいまおか監督は「何とかなるでしょ」としか言わない。 そう言われたら私は信頼して黙るしかない。 「予算の範囲なら何でもいいです」と最初から言っていたので、内容には口を挟まないのが私の方針。 だから「神戸で撮ります」と言われても反対はしない。 スタッフ編成もキャスティングも具体的に決まっていく。 いまおか監督のゆかりの役者さんにも何人か出て貰いたいと提案したが「東京から役者を連れていくと交通費の予算がないので」と言われてしまう。ブーメランのように自分に帰ってくる。 キャスティングも決まり2017年1月の震災の追悼集会から撮影は始まった。 そして2回目が3月末の春の撮影。この頃、私が第1稿を書いた「オレとアイツの集金旅行」が大蔵映画で映画化が決定したが、それはまた別の話。 夏の7月下旬の撮影にも参加した。この直後に「予算がなくなりました」と相談を受けた。公開準備金を直接製作費にあてるしかなかった。 秋の撮影には参加できずに2018年1月の撮影には参加。これでクランクアップ。 「今年中には完成するかな」と思っていたが甘かった。 スタッフの方々も本来の仕事の合間を縫って「れいこいるか」に関わっていただいている。だから時間が掛かるのはやむを得ない。 結局オールラッシュがあがったのが2018年10月。この時点ではまだ音楽も効果音もついていない。 もう一息、と思ったがここからがまた長かった。 2019年になってもさっぱり進まないのである。 9月になって「もういい加減になんとかしましょう。ケツ決めましょう。とりあえず今年中に一度上映会をしましょう。『オレとアイツの集金旅行』と2本立てで。場所はTCC試写室」といまおか監督を焚きつけた。 (この飲み会に同席してたのが櫻井拓也さんだった。この日が最期になった) 上映会の日程が迫る。しかしまだ映画はあがってこない。 3日ぐらい前になってやっと「DVD版」が上がってきた。 早速自宅で鑑賞。 驚いた。映像の色合いが完全に変わっている。 カメラの鈴木一博さんが時間をかけたのはこの色を出したかったのだ。 ラッシュ版と完成版を見比べると明らかに色合いが違う。 この両方のバージョンが見れたのはプロデューサー特権である。 そして効果音にも工夫がされており、待った甲斐があったというものだ。 12月の上映会は大盛況。 私としても「オレとアイツの集金旅行」の2本立てで鑑賞いただき大満足。配給もすぐに決まった。 企画から6年、やっと完成し公開の運びとなった。 やってよかったと思う。 私は資金を提供しただけで何もしてないに等しいのだが、とにかく完成して公開までもってこれた。 ここまで来れたのは、厳しい条件下で活躍していただいたスタッフ、キャストの方々、完成した作品を評価していただいた配給会社、劇場の皆様のおかげです。 いまおか監督って実にスタッフに恵まれてる気がする。 これが監督の人徳ってやつなのかな、とも思う。 映画はお客様に観ていただけて初めて完成するといわれてます。 あとは皆様にご満足いただけることを願うばかりでです。 ありがとうございました。 朝日映劇 川本じゅんき |
![]() ![]() 2019年/99分/DCP 監督 いまおかしんじ/脚本 佐藤稔/撮影 鈴木一博/録音 弥栄裕樹/音楽 下社敦郎/編集 蛭田智子/助監督 女池充・坂本礼 出演 武田暁/河屋秀俊/豊田博臣/美村多栄/時光陸/田辺泰信/上西雄大/上野伸弥/石垣登/空田浩志/テルコ/川上皓翔/桑村大和/グェンティ・コックミ/杉本晃輔/西山真来/徳竹未夏/古川藍/多賀勝一/水野祐樹/小倉Pee/南山真之/グェンタイン・サン/森千紗花/若宮藍子/北田千代美/上村ゆきえ/徳永訓之/佐藤宏 【前説】 大切な人が死んで、残された人はその先をどうやって生きていくのか?実人生の中で、映画を作ることの中で、ずっと考えている。死んだ人のことを忘れたくない。時間がたてば忘れるというなら、忘れない方法はないものかと思う。生きていた時に受け取った何かを何らかの方法で残したい。だから俺は映画を撮るのかも知れない。フィクションの中にその思いを無理やりねじ込んで死者とコンタクトする。「れいこいるか」を撮りながら幾人もの死者の顔が浮かんだ。彼らが俺の後ろにいる。不思議と背筋が伸びるのだ。 この映画は死んでいったたくさんの知人に捧げたい。神代辰巳、川島伸夫、林由美香、向井寛、馬場当、しまだゆきやす、上野俊哉、鴨田好史、今岡隆則、伊藤猛、堀禎一、江利川深夜、櫻井拓也に捧ぐ。 【あらすじ】 1995年、神戸。伊智子と太助は、地震で一人娘のれいこを亡くす。二人は離婚し、それぞれの生活を始める。 淡々とした日常の中、伊智子と太助は、徐々にれいこの死を受け入れていく。 2018年。久しぶりに再会した二人は、れいことの思い出の水族園へ行き、イルカショーを見るのだった。 【解説】 1995年。俺が監督デビューした年、阪神淡路大震災があった。翌年、震災をネタに一本のシナリオを書いた。震災で子供を亡くした夫婦の話だ。国映のおねえさんに読んでもらったら、「子供の死ぬ話は嫌い」と言われ却下された。アレから20数年、ずっと眠っていたシナリオを掘り起こした。今やるならアレからの時間を描くべきではないか、と脚本の佐藤稔と話し合った。そこらにいるような男女のしょうもないけど切実な時間を描いてみたかった。 監督 いまおかしんじ ![]() |
(2020/8/13 リンク追加)
(2020/8/8更新)