2003年11月

阿修羅のごとく 昭和歌謡大全集 g@me 野球狂の詩
ドカベン Hard Luck Hero のんきな姉さん 夢で逢えたら
レザボア・ドッグス ティアーズ・オブ・
ザ・サン
ゴジラ(海外版) ゲゾラ・ガニメ・カメーバ
決戦!南海の大怪獣
ゴジラ・ミニラ・ガバラ
オール怪獣大進撃
非常線の女 刑事物語 銃声に浮かぶ顔 刑事物語 灰色の暴走
拳銃無頼帖
不敵に笑う男
ゴジラ対メガロ 地球攻撃命令
ゴジラ対ガイガン
素ッ裸の年令
拳銃0号 リング・ウイルス ゴジラ×モスラ×メカゴジラ
東京SOS
木更津キャッツアイ
日本シリーズ
怒れるドラゴン
不死身の四天王
片腕ドラゴン対
空飛ぶギロチン
大脱走 東京原発

阿修羅のごとく


日時 2003年11月30日18:30〜
場所 新宿文化シネマ
監督 森田芳光


(公式HPへ)

基本的には女性が主人公の映画は見ない。
興味が湧かないのだ。しかも最近あまり作品が芳しくない森田芳光
なので余計に。
友人が見たいというので付き合う形で見た。

浮気をしていた父親(仲代達矢)が実は紺野美沙子の愛人とはなんでもなく、
昔お世話になった人の娘でその面倒を見ていた、というようなオチは無く、
やっぱり浮気のままだった。
女優陣では主役の大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子より、数シーンしか
登場しない木村佳乃が印象に残る。
小首をかしげただけあいさつを黒木瞳にする仕草はインパクトがあった。

それより時代設定の昭和54年(1979年)。
そんなに昔じゃないと思っていたが今からすると随分違うなあ。
一般家庭の電話はまだダイヤル式が中心で、公衆電話は100円玉が使えるように
なった黄色い電話のダイヤル部分を外してプッシュ式に改造したものも登場する。
この頃テレホンカードはまだ無い。
思えば電話がプッシュ式になってから「話す」という使い方以外の機能が
はじまったんじゃないだろうか?
またあの頃はFAXもまだそれほど一般的ではなかったな。

あの頃の時代がかなり忠実に再現されていたが、1箇所気になった。
深田恭子が万引きをした缶詰を前にして転チュから事情を聞かれるシーンがある。
その缶詰にはバーコードが印刷してあった。

日本でバーコードが一般的になったのは80年代半ばになってから。
あの缶詰は輸入品だったようだが、79年には海外(アメリカなど)ではもう
バーコードはすでに広まっていたのだろうか?
もしそうだとしたら、スタッフは案外バーコードをわざと見える向きに置いたのかも
知れない。

(このページのトップへ)


昭和歌謡大全集


日時 2003年11月30日13:20〜
場所 シネマミラノ
監督 篠原哲雄

(公式HPへ)


摩訶不思議なタイトルと好きな若手俳優の安藤政信の出演という事で見に行った。
一言で言ってさっぱり解らん。
いやもちろんストーリーは複雑じゃないからよく解るのだが、何が言いたいのか
何がやりたいのか、もしくは何が面白いのかさっぱり解らない。

松田龍平は向かいのアパートのオバサンがシャワーを浴びているのを
凝視している。またおばさんたちもカラオケバーで若い男とチークダンスを
踊るのに夢中。
本来お互いを認め合っているのに対立してしまう哀しさ、などと勝手に
こじつけてこの映画を解釈しようとしたが、それもむなしい。

原作の村上龍は以前「69」という自らの高校時代をモデルにしたらしい
小説を読んだ事があるが、そのときに「この人の考え方は好きになれんな」
と思ったことがある。
映画は原作と別物だから村上龍に対する考えでこの映画にアプローチするのは
やや乱暴だろう。
それにしてもこの奇妙なおばさんVS若者の対立は理解しがたい。
最後には松田龍平は原爆の製造に成功し、調布上空で爆発させる。
ここで広島がどうのこうのいうのはお門違いだとは思うが、何か
発想がものすごーく安易すぎる気がした。

そしてやたら血なまぐさい所といい、僕は好きになれない。
面白かったのは「この世で最後まで生き残るのはゴキブリじゃなくて
オバサン」と言い切る原田芳雄。
あと印象に残ったのは首筋を切られた後、小便を噴き出しながら死んでいく
安藤政信。
随分大胆なシーンを撮ったものだ。


(このページのトップへ)


g@me


日時 2003年11月29日19:20〜
場所 ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘 シネマ8
監督 井坂聡

(公式HPへ)


佐久間俊介は広告代理店のエリートサラリーマン。ミカドビールの巨大プロジェクト
をまかされていたが、突然のキャンセルに。新任の副社長の葛城が
当社の方針に合わないという一言でひっくり返されたのだ。
その夜、佐久間はやけ酒を飲んだが、酔っ払った足は葛城の自宅へ。
なんとは無しに見ていたのだがその時家から一人の若い女が垣根を越えて出てくる。
興味を惹かれ尾行する佐久間。
シティホテルに入っていった女は宿泊を頼むが泊めてもらえない。
その若い女は葛城の娘だった。一晩自分の家に彼女を泊める事にした佐久間。
葛城にいい感情を持たない二人は狂言誘拐を思いつく。
身代金は手にするが、しかしその後に逆転逆転が待っていた!

人気ミステリー作家。東野圭吾の小説の映画化。
いわゆる誘拐ものだが、従来のものと違って警察側は全く出てこず、犯人側だけから
描くという大胆な構成。
犯人側は相手の出方は全く解らず、目に見えない敵と戦っているようなあせりのある
面白さ。

最近の日本のミステリーは宮部みゆき、真保裕一、奥田英朗と圧倒的な展開の面白さ
の小説がおいのだがその映画化となると成功したとは言いがたいような作品
(森田芳光の「摸倣犯」など)も多かったが、この映画は充分楽しめた。

3億円の身代金を受け取るのを携帯電話を使って相手をあちこち移動させるのは
最近のこの手の映画の定石だが、その点も充分楽しめる。
しかも金を受け取ったあとの「あっ」と驚く逆転劇のはじまり。
ミステリーなので多くはかけないけど逆転逆転で見てるこっちはたっぷり裏切られ
それが楽しい。
ミステリーの面白さを充分堪能できた。
難を言えば藤木直人と仲間由紀恵のラブストーリー色が強すぎた。
女性客のためにラブストーリーの要素を加えれば喜ばれるという
安易な発想が気に入らない。

出演はミカドビールの副社長・葛城に石橋凌。
圧倒的な迫力で、いい役者だなあ。最近の日本映画をしょってたっている。
藤木と仲間は悪くは無いがインパクトが弱い。
これをテレビ俳優の弱さとでも表現するのだろうか?

(このページのトップへ)


野球狂の詩


日時 2003年11月29日16:25〜
場所 多摩市永山公民館ベルブホール(TAMA CINEMA FORUM映画祭での上映)
監督 加藤彰
製作 昭和52年(1977年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


セ・リーグ中最下位の東京メッツの投手、岩田鉄五郎(小池朝雄)は53歳にも
関わらず、まだまだやる気充分。
そんな時スカウト(谷啓)から大物新人発掘の連絡が入る。
早速見に行った岩田たちだがなんと女性の水原勇気(木ノ内みどり)だった。
プロ野球協約により女性は選手になれない。
しかし水原の投手としての才能にほれ込んだ岩田は何とかして水原を
メッツに入団させようとする。


長らくロマンポルノを中心に製作してきた日活だが、「花の応援団」などのヒットを
バックに一般映画の製作も再開した。
当時、映画界で流行っていた人気コミックの映画化、そして売り出し中のアイドル
木ノ内みどりを起用して、コミックの実写版とアイドル映画というヒット要素の
両方を期待して作ったのがこの「野球狂の詩」。

ただしヒットはしなかったと記憶する。
作品そのものの出来より、すでに日活系の映画館は完全にポルノ映画館として
人々に定着してしまっていて、一般映画を上映してもお客さんは入りにくい
映画館と化していたように思う。
つまり先週まで団鬼六の映画を上映していて今さらティーンエイジ向けの
映画を上映しても、映画館そのものが汚くなっていたり、劇場イメージとして
入りにくい劇場になっていたと思う。

映画の出来としては「ドカベン」と違ってコントのようなギャグは全く無く、
ひたすら青春野球映画。
水原が入団後、いろいろ世話になった選手・武藤がトレードされてしまって
苦悩するあたりは青春してるなあ。

ラストの開幕戦、水原は打たれまくって守備のおかげでようやく勝つことが
出来る。
でも最後に魔球(ドリームボール)を試してみて未完成だがこれから改良すれば!
というところで映画は終る。

肝心の野球のシーン、まず監督の桑山正一や小池朝雄、その他のチーム名とも全然
選手っぽくない。
なんかプロ野球っぽくないのだよ。
また試合のシーンはすべてカットを割ってあるので木ノ内みどりのプレーを
見ることはない。
「がんばれ!ベアーズ」の日本版、みたいな宣伝をされたような気がするが、
試合のシーンで見せ場を作るようなことも無く、ひたすら盛り上がらない。

結局木ノ内みどりの前半のショートパンツのユニフォーム姿、後半は
ジャイアンツカラーの黒とオレンジを使ったメッツのユニフォーム姿
のかわいらしさだけが見所かな。

その後木ノ内みどりは当時のアイドルだったキャンディーズ、ピンクレディーを
超えることなく、たいしたヒットも無く消えていった。
結婚でもしたんだったかな?
よく憶えていない。

(このページのトップへ)


ドカベン


日時 2003年11月29日14:45〜
場所 多摩市永山公民館ベルブホール(TAMA CINEMA FORUM映画祭での上映)
監督 鈴木則文
製作 昭和52年(1977年)東映

(詳しくはキネ旬データベースで)


明訓高校にドカベンこと山田太郎が転校してきた。早速番長の岩鬼と対立するが
ドカベンは一向に意にかえさない。
ドカベンはハチャメチャな運動神経の持ち主で、部員の足らない柔道部に
入ることになる。

水島新司の人気マンガ「ドカベン」の実写での映画化。
この頃は「ルパン三世」「花の応援団」「野球狂の詩」「こちら亀有公園前
派出所」(せんだみつおが主演だった)など春休み
夏休みのシーズンはやたらマンガの実写の映画化が流行っていた。
個人的には(今でもそうだが)「マンガ(特にギャグマンガ)を
映画化するならアニメで。実写でやると哀しいくらいに変な作品になる」
という持論の持ち主だったので封切り時はほとんど見ていない。

でも今になって恐いもの見たさでちょっと見たくなった。

一言で言ってすごい映画だなあ。
先日香港映画の「片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン」をすごいと思ったけど、
そのばかばかしさ、ありえなさ加減は「空飛ぶギロチン」をはるかにしのぐ。
この映画を「ファンタスティック映画祭」で上映したらさぞかし受けるだろう。

ギャグといえないギャグというかコントの連発。
今と違ってCGなんか無いからコマ落としなどの初歩的なトリック
(というほどでもないが)とか照明を真っ赤にしたりして笑わせる。
でもほとんど脱力してしまうようなお寒い(というかそれを超えたような)
ギャグの数々にはもう何もいえない。
あまりのバカバカしさに思わず笑ってしまうのだ。
今から思えば「狂い咲きの70年代」のあだ花だったのかも知れない。

細かいギャグは書かないが(というか文章にならない)
この見てるこっちが恥ずかしくなるようなギャグの連発は
ここまで来ると記憶に値する。
機会があったらごらんになられるとよい。
ギャグとは言うよりコントのような笑いの連続にあっけにとられる
でしょう。

こういう作品は作るほうにテレがあったら撮れまい。
鈴木則文はこの後「トラック野郎」シリーズを手がけた。
僕なんか絶対撮りたくないが、こういう作品をテレなく取れるセンスの方
なのだろう。
私個人はあまり好きではないのだが、この「テレのないギャグの連発の徹底」
は評価に値しよう。


(このページのトップへ)


Hard Luck Hero


日時 2003年11月26日
場所 DVD
監督 SABU

V6全員での初主演映画。
本作品は、劇場公開はされず、スクリーンでの上映は、この夏発売の
アルバム「インフィニティ〜∞」の購入者を対象にした抽選によるイベント上映、
及び東京国際映画祭の特別上映としてのみ。
そしてこの11月27日にビデオ、DVDのセール&レンタル開始。
発売日前日になんとか購入し、見てみた。


無国籍料理店で皿洗いのバイトをしている浅井タカシ(岡田准一)は
店長の石井直人(井ノ原快彦)に呼び出される。
実はこの店はヤクザの経営で裏キックボクシング試合(トバク試合)も
行っていた。ところが今日の試合の対戦相手のタイ人のボクサーが
やってこない。仕方なくボクシング未経験の浅井を無理矢理ボクサー
に仕立てて試合に臨む。
負けると思っていたが試合が始まった途端、浅井は弾みで勝ってしまった!
胴元のヤクザは試合が盛り上がらないのを怒って拳銃をぶっ放す。
やむなくその場から逃げ出す二人。
しかし、その場にはもう二組の男たちがいた。
サラリーマンの池山忠志(坂本昌行)岸本健太(長野博)、フリーターの
藤田ケンジ(森田剛)工藤ユウジ(三宅健)たちだ。
彼らも警察やヤクザに追われる羽目になり、それぞれの逃走劇がはじまった!


アイドル映画というのはそのグループの人数が多ければ多いほど作りにくい。
3人ぐらいはやりやすいのだが、5人6人となるとやりにくい。
映画の目的上、ファンの手前各メンバーの出演シーンか極力バランスをとり
一部のメンバーに偏らなければならない作りを求められる。

その点、この作品は2人づつ3つのグループに別れ、それぞれオムニバスに近い
つくりになっていく。
しかも単なるエピソードの組み合わせではなく、岡田が最初に試合で勝ってしまった
事による歯車の狂いから、話はスタート。その歯車の狂いが3組それぞれの
運命を狂わせてしまうという面白いつくり。

従ってエピソードが始まるたびに同じ時間まで戻る事になり、同じシーン、
同じセリフが何度も登場する。
しかし同じシーンでもそれぞれの視点からその場面を見ることにより、
カメラアングルなどが微妙に違う。
だから例えば坂本たちのエピソードの時に実はその後のエピソードの
森田剛や三宅健が画面の隅っこに写っていなかったか、その時
どんな演技をしていたのか確認したい衝動に駆られる。

アイドル映画というのはファンとしては何度も見てしまうが、この構成に
より2度3度見ても飽きがこない構成になっているのだ。
これはうまいやり方。
今後は一つのフォーマットになるかも知れない。

しかし面白かったのは1時間だけ。
全体が75分ぐらいの作品だから、1時間面白かったなら及第点だが、
とに角話の収まりが悪い。
バラバラに逃げていた3組が再び偶然同じポイントに集まってしまうのだが
この後のエンディングがつまらない。

全部書いちゃうけど、イノッチと岡田は本当のボクサーとトレーナーの
関係になりボクサーとして成功する。
長野はこれがきっかけで念願だったレーサーになる。
坂本はサラリーマンとして大きな商談を成功させる。
ところが森田、三宅コンビは(三宅はエピソード中で撃たれてしまったのだが)
三宅が入院生活を送っていて森田が見舞うシーンのみ。
この不公平感はものすごく気になる。
三宅は助かっただけましということなのか?

でラストショットは彼ら3組それぞれが乗っていた車が三方から向かってきて
クラッシュするだけのカット。
折角なら、ボクシング会場にあったヤクザの金は森田=三宅チームが盗み、
所が途中で坂本達のカバンと入れ替わってそしてその金の行方は・・・・
みたいなドラマとしての展開が欲しかった。

はじまって1時間の畳み掛ける展開、カメラアングルの妙により十分楽しめた
だけに、余計にエンディングの収まりの悪さが気になる。
そこがもっとまとまってればもっとよかったと思う。

他の出演者で面白かったのは寺島進。
擬音ばかりで(ぐわーんとか、がつーんとか)過去の試合を語るシーンは
爆笑した。


(このページのトップへ)


のんきな姉さん


日時 2003年11月24日18:10〜
場所 多摩市永山公民館ベルブホール(TAMA CINEMA FORUM映画祭での上映)
監督 七里圭
製作 2002年

(公式HPへ)

クリスマスの夜、残業をしているOLの安寿子(ヤスコ)の元に弟の寿司夫(スシオ)から
電話がかかってくる。
彼はこれから死ぬのだという。
そして彼女の元には寿司夫から「のんきな姉さん」という彼が書いた本が
送られていた。
その本は街のショーウインドウに多数飾られている。
安寿子の婚約者もその本を見つけて読む。そして安寿子にいう。
「君に弟がいるなんて知らなかった」
「この本は小説よ。現実じゃないわ」


夢、虚構、創作、幻想、現実すべてが入り混じって描かれていく安寿子と寿司夫
の愛の物語。
一応、残業している誰もいなくなった夜の職場が現実のシーンらしいのだが、
実はそれすらはっきりしない。

時々安寿子に励ましのアドバイスを送る課長(三浦友和)がひょこっと登場する。
今までいないと思っていた場所に突然そこにいたりする。
課長すらも安寿子の作り出した幻想なのか?

寿司夫の子をお腹に宿してしまった安寿子、最後には「もういなくなった」という。
本当に彼女は妊娠していたのか?
寿司夫との一体感を保つための彼女の想像だったとは考えられないのだろか?
この映画のすべての内容が実は「のんきな姉さん」という本の中の物語なのか?

寿司夫が小説を書くような伏線は映画の中では出てこない。
「のんきな姉さん」という小説でさえ、実は存在しないのではないだろうか?

現実なのか、幻想なのかすべてが判然としない不思議な空間の物語だ。
最近見たことなかったようなタイプの映画。
2、3回見れば自分なりの解釈を持てそうな・・・・
とに角もう一度みて数々の疑問を解いてみたい衝動に駆られる作品だ。

出演者で特筆すべきは弟、寿司夫役の塩田貞治
雪の中で寝そべりながら「僕、これから死ぬんだ」と携帯電話の向こうの
姉に向かって話すトップシーンから見るものの興味をひきつけてやまない。
この姉弟に何があったのか?
何も知らない無邪気なこどものような笑顔をしながら狂気にも
似た愛に走る塩田の姿はゾクっとするような色気と魅力がある。

特に安寿子の妊娠を知るシーンの戸惑った動揺の表情、また最初に安寿子の婚約者に
出会った時の、婚約者を無視し安寿子に「遊ぼうよ〜」と甘えた声を出す態度なが
特に印象深い。

「卓球温泉」やTV「サイコ」で見せた三枚目的な役柄とは違った味、
舞台「三人姉妹を追放されしトゥーゼンバフの物語」で劇作家の
テネシー・ウイリアムズと同性愛関係の秘書を演じたが、今回も
それに近い禁断の愛。
普段の笑顔が憎めない分、一転して狂気に走る姿の迫力は彼の
魅力の一つと言っていい。

また本作では絵画教室でヌードモデルをし、全裸シーンにも挑戦。

彼の代表作として記憶に値する作品であることは間違いない。
この作品が多くの人の目に触れることにより、塩田が活動の幅を
広がる事を願ってやまない。

七里圭の演出はカットを切らず、長回しが中心。
しかしそれもシーンによってはよいが(佐藤允が猟銃を持って
オフィスに現われるところなど)、場面によってはカットの変化が無く
イライラしてくる。
例えば最初の方の安寿子と寿司夫がオムレツを食べるシーンなど
単にだらだらと長く感じられ、冗長な感じがする。

往年のATG映画を想起させるような抽象的な作品だが、
たまにはこういう映画もよいかも知れない。


(このページのトップへ)


夢で逢えたら


日時 2003年11月24日17:50〜
場所 多摩市永山公民館ベルブホール(TAMA CINEMA FORUM映画祭での上映)
監督 七里圭
製作 2001年


20分の短編作品。
ある男がバスの中でふと目覚めたらその前の記憶を失っていた。
バスを降りてから、公園である女性と知り合い、彼女のうちへ行くのだが・・・
という内容。

セリフは最後に一言しかなく、劇中、足音とか車の音とか現実音しか出てこない。
そんな中で意味のよく解らないストーリーの展開をされても、出来た作品は
抽象的なことこの上ない。

なんだか昔よく見た学生の撮った8mm映画見たいだった。
こういっちゃなんだけと金とって見せるような作品じゃないわなア。
2004年1月のテアトル新宿での公開される「のんきな姉さん」が
1時間20分の短い作品だから、その埋め合わせのためにという理由しか
上映する価値が見当たらない。

多分、作った本人も商業劇場で公開するつもりで撮ったのではないと
思いますけどね。


(このページのトップへ)

レザボア・ドッグス


日時 2003年11月23日
場所 レンタルビデオ
監督 クエンティン・タランティーノ
製作 1991年

(詳しくはキネ旬データベースで)


男たちがマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」について
語り合いながらレストランで朝食を食べている。
彼らはこれからどうやら何か一仕事するらしい。
画面は一転、先ほどの男たちのうちの二人、通称ホワイトとオレンジが
車で逃走している。しかもオレンジは腹を撃たれている。
彼らは集合場所だったある倉庫にたどり着く。
やがて通称ピンクも到着する。ダイヤ強盗は失敗した。
グループの中に裏切り者がいたのだ。そいつは誰か?


「キル・ビル」の公開で再び盛り上がっているクエンティン・タランティーノ。
そのデビュー作となったバイオレンス映画をやっと見ることが出来た。
本作の元ネタ映画の一つ、福田純の「血とダイヤモンド」が面白かったし、
世間の評判も高いので見る前の期待は大きかった。
でも正直言うけどちょっと外された。
決してつまらない作品ではないが、それほどでもなかった。
これが予備知識無しで見てればもっと面白かったかも知れないけど。

映画の舞台となるのは70%が彼らが逃げてきた倉庫。
ここで疑心暗鬼になりながら、この仕事に関わった経緯を時間軸を逆行させながら
語っていく。
アメリカ映画でも低予算はあるのだなあと思わせる安いつくり。
肝心の宝石強盗に失敗するシーンはなし。あるのは彼らの説明だけ。
「血とダイヤモンド」の方は、強盗グループのほかに志村喬の医者とか
宝田明の保険会社の調査員とか夏木陽介の刑事とかもっと複雑に
絡んでテンポもよかった。

「レザボア〜」は強盗たちだけで、そのうちブラウン(クエンティン・タランティーノ)
とブルーはもう死んでしまっているので、5、6人だけの話。
しかも場所の移動は無く、倉庫の中だけの話だから若干退屈する。
もっとも倉庫の中、という動きの無い世界なのにこれだけ面白く
見せたのはさすがとも言えるが。

個人的には、潜入刑事は誰か?というネタは最後まで引っ張ってもらい、
ラストには話が二転三転する!となって欲しかったが、それはタランティーノの
目指したものとは違う作品かも知れない。

あと個人的に耳を切っちゃうとかのバイオレンス描写がいやなんだよね。
ああいう猟奇的なバイオレンスシーンは生理的に受け付けないんで。
最近はああいうのが流行りですが。
でもオープニングの会話とかホワイトのつかないライターとか
細かい描写が面白かったので、もう一回見れば感想が変わるかも知れない。


(このページのトップへ)


ティアーズ・オブ・ザ・サン


日時 2003年11月23日16:20〜
場所 新宿プラザ劇場
監督 アントワン・フークア

(公式HPへ)


内戦下のナイジェリアでは民主主義派の大統領を倒して軍事政権が
発足した。
反乱軍は暴虐の限りをつくしており、米軍はアメリカ人の救出を
行っていた。
そんな時特殊部隊のウォーターズ大尉(ブルース・ウイルス)と彼の部隊に
新たな命令が下る。国際的な医療奉仕団のスタッフの女性医師を救出せよと
いうことだった。早速救助に向かうウォーターズたち。
だが彼女は患者を置いて自分だけ逃げるわけには行かないと救助を拒む。
一旦は命令通り彼女だけを救出しようとしたウォーターズだったが、
結局、避難民も救出することにする。
しかし追手の反乱軍は執拗に追ってくる。
何故そこまで追われねばならないのか?
ウォーターズたちに危険が迫る!


うわっ、まいったなあ。
これが見てる最中にでてきた一言。
映画は単純に作品として独立して評価すべきもの、という意見も否定は
しないが、2003年11月にこの映画を見るとどうしても現在の
世界情勢と切り離して見ることが出来ない。
5年前、あるいは5年後にこの作品を観ていたら、違った感想を持ったかも
知れない。

数年後あるいは数ヵ月後にこの文章を読んだ時のために2003年11月の
世界情勢を簡単に書いておく。
2003年3月には米軍はイラクに対し、(国連では戦争に否定的な
意見が多かったにも関わらず)「大量破壊兵器を持っている疑いがある」
という名目で宣戦布告をした。しかし肝心の大量破壊兵器は見つからず、
悪の根源というようないわれ方をしたフセイン大統領も逃亡したまま。
戦争は早期に終結したが、未だにイラクは戦闘状態にあり、ブラックホークが
撃墜される事件が後を絶たない。
「どうもアメリカは横暴だぞ」の意見も世界的に少なくないようだ。
日本もイラクの戦後復興支援のため、小泉首相は自衛隊派遣を決定したが、
現在もイラクは事実上、戦闘状態のため国内世論は自衛隊派遣に否定的で
来年の参院選もにらんで、年内の自衛隊派遣は諦めざるを得ない。

簡単にまとめるつもりが少々長くなった。
要は、現在の国際情勢(というか僕の中)では「アメリカの『正義』という
名のもとの軍事介入」にものすごく否定的な気分なのだ。
そういう気分の下にこの映画を見たら「まいったなあ」と思わざるを得ない。
もう一言で言って「アメリカの軍事介入支援映画」に見えてしまうのだ。

クーデター軍(映画の字幕では反乱軍)は徹底的に悪人として描かれる。
ウォーターズたちがカメルーンとの国境に向かって逃げている途中で
ある部落にさしかかる。
そこでクーデター軍が村人たちを無差別に殺す姿をみて、「放っておけない」
と自分たちの身の危険とは全く関係ないのにクーデター軍を攻撃する。

「アメリカ軍は正義の軍隊なので、悪い奴を見過ごせない性格なんです」
と現実のイラク戦争を自己弁護してるように見えてしまう。

で、クーデター軍に何故執拗に追われるかと言えば、避難民の中に
前大統領の息子が混じっており、その息子を殺しにきているのだ。
それを知ったウォーターズたちは上官から「内政干渉にあたる恐れがあるから
関わるな」と命令を受けたのにも関わらず、彼らを安全な国境地帯に
連れて行く。
そして最後には避難民から「あなた方のご恩は一生忘れません」と涙を
流して感謝されるのだ。

「ブラックホーク・ダウン」もアメリカの軍事介入を描いた作品だが
ソマリア人の視点も(少しではあるが)描いていたし、第一アメリカは
ソマリアでは負けてしまっている。
だがこの映画ではウォーターズたちは仲間に犠牲を出しつつも友軍機の
援護もあって敵を撃滅するのに成功している。

「アメリカ軍は、強くて、正しくて、人々から泣いて感謝されるような事
を日々しているのです」

そういう風にプロパガンダされてるようで、ものすごーく抵抗を感じた。

まあこういう見方をされるのはこの映画にとってものすごく迷惑かも知れないけど。
そんな風にこっちの映画を見てるテンションは下がりっぱなしだったから、
最後のクーデター軍との決戦シーンも、こっちの気分は盛り上がらず、
全く楽しめなかった。


(このページのトップへ)


ゴジラ(海外版)


日時 2003年11月22日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 橋本幸治
    R.J.KEIZER
製作 1985年

84年の「復活ゴジラ」の海外版。クレジットには「GODZILLA 1985」と
なっている。全篇英語吹き替えにレイモンド・バーらのアメリカ人
出演シーンも追加された85分の作品。
多分、日本では劇場公開はされておらず、ビデオのみの発売だと思う。

レイモンド・バーは「怪獣王ゴジラ」というゴジラ第1作の海外版にも
主演したが、ご丁寧にも本作でも出演し(役名も同じ)「54年のゴジラ東京上陸を
経験した唯一のアメリカ人」という設定。

ストーリーはほぼ同じ。
「怪獣王ゴジラ」の時のようにレイモンド・バーが無理矢理ドラマに絡むような
事はしていない。(実はそれを期待したのだが)
ゴジラの日本襲来に対して米軍が念のため(日米安保条約もあるから)スタンバイ
していて、その米軍指令本部の動きの部分が追加されている。
レイモンド・バーはゴジラ上陸に対しての方策についてのアドバーザーとして
米軍司令部に呼ばれる、いう形で出演。

85分の作品だから当然、オリジナルからカットされているシーンもある。
まず、田中健の新聞記者は島の支局員で左遷された形になっている、という設定
部分はなし。そして沢口靖子と宅間伸の兄妹再会のシーンを写真にとって
スクープしようとするあたりもなし。
そしてオリジナル版の感想で「(まあ)面白かった」と書いた小沢栄太郎
金子信雄、加藤武らの核使用に関する閣議のシーンはなし。
すぐわかるのはその辺かな。

でもこの辺のごちゃごちゃしたシーンをばっさり切ったためにかえって
すっきりした作品にもなっており、オリジナル版より面白いといえるかも
知れない。

追加の米軍シーンはゴジラがソ連原潜を沈没させてその報告を受けるシーン、
ゴジラの東京上陸に際して米軍が準備することを討議するシーン、
ソ連の衛星が核を発射させてしまい、その迎撃を日本から依頼されるシーン
とか、エンディングで三原山の爆発で火口に落ちていくゴジラを見送る
シーンなど。
「ゴジラは人間の傲慢さに対する自然の反撃だ」というような人間の
おごりを戒めるお決まりのナレーションもある。

なおソ連の核弾頭発射は、「誤って」ではなく、ソ連の工作員が
故意に発射したような描き方。そして米軍はそれを見事に撃退する
ヒーローに見えるようになっている。「日本はアメリカによって守られている」
みたいな感じがする。
1985年といえばレーガン政権の時代。まだベルリンの壁もあったし、
「スターウォーズ構想」とかいう大陸弾道ミサイルを宇宙から撃ち落そう
という研究をしていた時期であった。(確かそうだ)
その辺のアメリカの時代背景を考えると、ちょっとこの描き方は
面白いです。


(このページのトップへ)


ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣


日時 2003年11月22日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 本多猪四郎
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


フリーのカメラマン、工藤(久保明)は南米からの帰りの飛行機で
行方不明になった土星探査ロケットが海におちるのを目撃する。
東京へ帰ってその話をするが、一笑にふされ、誰も取り合ってくれない。
そんな時に南太平洋のセルジオ島を開発する計画の会社から島の写真撮影を
依頼される。その島の場所は工藤が土星探査ロケットの落下地点の
近くだった。生物学者の宮博士(土屋嘉男)と共にセルジオ島の調査に向かう。
旅の途中、なにやら怪しげな小畑(佐原健二)と知り合った。
この男、何者か?そしてセルジオ島には島民たちの噂の怪物は
実在するのか??

ゴジラが登場しない最後の東宝怪獣映画。
主演は久保明、土屋嘉男、佐原健二と王道を行くキャスティングだ。
登場する怪獣はイカが巨大化したゲゾラ、カニが巨大化したガニメ、カメが
巨大化したカメーバだ。
(実は「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS」にカメーバという巨大生物が
ワンカット登場し私はそれを大映の「ガメラ」とリンクさせたギャグだと思っていたが
違っていた、あのカメーバとはこの映画に登場する「カメーバ」の再登場だったのだ!)

ゲゾラが立ち上がってもたもたと歩く姿はユーモラスでさえあるのだが、
足(腕?)で人間をつかみ食ってしまうあたりはなかなか凶暴だ。
実はこれらの怪獣は、地球侵略の目的で土星ロケットにのってやってきた宇宙生物が
乗り移った、という設定。
(この「ロケットが帰ってきた」という設定は「ウルトラQ」の「宇宙からの贈り物」を彷彿とさせる)
そして佐原健二はセルジオ島開発プロジェクトを盗みに来た産業スパイ。
ひげづらといい、なんだか「海底軍艦」のムー帝国のスパイみたいな悪役。
で途中から宇宙生物に乗り移られてしまう。

久保明や土屋嘉男はこの島に残されていた旧日本軍が残していた銃、弾薬、ガソリンで
応戦するが、これらの怪獣たち及び宇宙人はイルカやこうもりの出す超音波に
弱い事に気づく。
こうもりを操って怪獣を撃退しようとするが、宇宙生物に乗っ取られた
佐原健二がこうもりを焼き殺してしまう。
まだ少し残ったこうもりを焼き殺そうとするところを久保明たちに
見つかってしまう。
でも佐原健二は人間の心を取り戻して・・・・・・
そしてこうもりによって正常さを失ったゲゾラとカメーバはもみ合いながら
火山に突っ込んでいく・・・・・

後半、セルジオ島から東京へ舞台を移してくれてゲゾラが東京タワーを倒してくれたら
もっとよかったが、今回はセルジオ島のみ。
その辺は残念だが、主演は東宝怪獣映画のお決まり陣だし、ゴジラが登場しない
最後の怪獣映画だし、この頃のゴジラ映画と違って特撮シーンの流用は無いし、
監督は本多猪四郎だし、音楽は伊福部昭。
(途中登場する島の人々の祈りの音楽が「キングコング対ゴジラ」とほとんど同じ)

怪獣ファンにも余り知られていない本作だが(少なくとも私はタイトルは
知っていたが見るのは初めて)、それなりに見る価値はあった。



(このページのトップへ)


ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃


日時 2003年11月19日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 本多猪四郎
製作 1969年

(詳しくはキネ旬データベースで)


両親が働きにでていつもかぎっ子の小学生、一郎は学校のいじめっ子のガバラに
いじめられていた。
ある日昼寝をしていると夢の中で一郎は怪獣島へ飛び、ゴジラの息子・ミニラと
友達になった。
ところがミニラも意地悪な怪獣、ガバラにいじめられていた。
夢から覚めた一郎は強盗(堺左千夫、他)にさらわれてしまう。
強盗に捕まっている時に見た夢で、ミニラが登場する。またガバラにいじめられるミニラ、
でも今度はゴジラと共にガバラをやっつける。
一郎もそんなミニラに勇気付けられ強盗の元から逃げ出す。
翌朝、いじめっ子のガバラにも反撃した。もういじめっ子なんかには負けないぞ!


子供にも受け入れやすいようにと、子供を主要人物に加えることはこれまでの
東宝特撮には何度かあったが、今度は完全に子供が主役だ。
ミニラは一郎と話をする時は一郎と同じ1m20cmぐらいに縮まり、
ガバラと闘う時は20mぐらいに大きくなる。
この映画の中のゴジラは一郎の夢の中にのみ登場し、現実の物語としては
登場しない。

気の弱い男の子がヒーローの活躍で勇気付けられ、強い子に成長するという
物語はまるで童話のようなお話だ。
人類にとって脅威ではじまったゴジラは、宇宙の外敵から地球を守ってくれる
番犬になったが、ついには童話にまでなってしまった。
怪獣島に活躍を移したゴジラシリーズだが、子供向けに作った作品時代の
頂点と言ってもいいだろう。

この作品は子供向け映画らしいユーモアにあふれている。
特に印象に残るのはミニラがゴジラの指導のもと、放射能をはく練習をするところ。
ミニラはいくら力んでも輪っかのような放射能しか出てこず、これでは弱くて
敵は倒れない。そして今度はゴジラが見本を見せる。やっぱり輪っかしかでないミニラ。
ところがゴジラがミニラのしっぽを踏むと、びっくりした拍子に勢いよく放射能が
吹き出るのだ。
私は多分封切り時にこの映画は見ているが、このシーンはよく憶えている。
でもこのシーンは「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」と同じシーンだと思う。
ひょっとしたら僕が封切り時に見たのは「怪獣島の決戦〜」だったのかも知れない。
さすがに子供の時の記憶ではあやふやだ。

今、特撮シーンの流用の話をしたけど、ゴジラ対カマキラスのシーンは「怪獣島の決戦〜」
ゴジラ対エビラのシーンは「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」から
それぞれ流用。
って事は今回の新規のシーンはガバラが出てくるところだけかも知れない。
安く作ってあるなあ。上映時間も70分と短いし。
あと怪獣島の風景として、ラドン、マンダ、ゴロウザウルスなどが流用で登場。

出演は主人公の少年の父で佐原健二、アパートのとなりに住む発明家に天本英世。

こんな感じで特撮は流用だらけだし、主人公は子供だし、話は童話だし、ゴジラシリーズでも
珍作といってもいいな。


(このページのトップへ)


非常線の女


日時 2003年11月16日
場所 衛星劇場 19:00〜
監督 小津安二郎
製作 昭和8年(1933年)

(詳しいデータは日本映画データベースで)


ずっと気になっていたのだ。
小津は戦後主要作品と戦前は「大学は出たけれど」「東京の合唱」ぐらいしか
見たことのなかった私だが、タイトルからしてどう見ても「暗黒街もの」っぽい。
笠智衆と原節子の親子や家族の話しか見たことない私にとって「小津」と「暗黒街」は
全く結びつかなかった。


時子(田中絹代)は昼間大会社でタイピストとして働き、夜は元ボクサーで
街の顔役の襄二(岡譲二)の情婦だった。
襄二はかつて所属していたボクシングジムで宏という学生に会う。
なかなか見込みのありそうな宏だったが、後日、襄二の元にやってきて
子分になりたいと言ってきた。
とりあえず、子分にした襄二だったが、彼の姉の和子がやってきて弟を悪い道に
引き込まないで欲しいと懇願される。
襄二は自分の周りの女にはない和子の清純さに惹かれ、宏を家へ返す。
時子は最近、襄二が和子に惚れているのを知り、和子に脅しをかけようとするが
彼女の姿をみて、自分もこんなカタギの女になりたいと思うようになる。
襄二と二人で相談し、足を洗って別の土地でやり直そうと決意する二人。
しかしそこへ宏を探しに和子がやってくる。
和子が帰った後、宏もやってきた。実は博打か何かで多額の借金を作ってしまい、
姉の勤め先のレジからお金を盗んだというのだ。それで和子は弟を必死に探していたのだ。
襄二たちは和子たちのために一肌脱ぐ決意をし、時子に惚れている勤め先の社長の
息子から金を脅し取る。
その金で宏の借金を返した二人だったが、警官に追われる羽目になる。
襄二は逃亡しようとしたが、時子は自首を薦める。
「いつまでも逃げおおせるわけじゃない。それならいっそ2、3年刑務所に入って
それから出直そう」
それでも逃げようとする襄二の足を拳銃で撃つ時子。二人は捕まった。
刑務所から出てきた二人はカタギになってやり直すことだろう。


以上が話の展開。
見て驚いたのは無茶苦茶モダンなアメリカ風な映画なのだ。
後の日活無国籍映画の比ではない。
出てくる街並みがチャップリンの映画で見たような30年代アメリカの風景に
実によく似ている。
「TOA BOXING CLUB」とか街に出ている看板もやたら過剰なまでに英語表記。
壁には英字新聞のようなポスターが張ってある。
街のチンピラたちはサイコロではなくビリヤードで賭け事を楽しんでいる。
サイレントでセリフが音になっていない分、全くハリウッド映画のような
雰囲気なのだ。

主演の岡譲二と田中絹代。
岡譲二はダブルのスーツに中折れ帽姿も実に決まっていて、当時のハリウッド映画に
登場しても何の違和感もない位にスタイリッシュ。
田中絹代はふっくらとしたほっぺが可愛いが、洋装を見事に着こなし、実に
モダンでおしゃれだ。
派手な撃ちあいやカーチェイスはないものの、暗黒街を舞台にしたラブストーリー
としては時代の先端を行くようなカッコよさではなかったか。

また登場するチンピラも後の多くの映画に登場するような猫背で手をぶらぶら
させたような与太者ではなく、背筋はちゃんとした男たち。
男優たちにこういう姿勢をさせたのも、直線で画コンテを書いたような
整然とした人物配置の構図も、後の小津スタイルに充分通じるものがある。

家族のつながりや娘の嫁入りなどのホームドラマだけが小津ではない、
そんなことを改めて認識させる一品。


(このページのトップへ)


刑事物語 銃声に浮かぶ顔


日時 2003年11月16日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 小杉勇
製作 昭和35年

(詳しくはキネ旬データベースで)


轢き逃げ事件雄被害者が病院から抜け出すという事件があった。
また佐藤刑事(益田喜頓)は永年勤続25年表彰を明日にした日、
先の轢き逃げ事件の聞き込みに行った先で不注意から拳銃を盗まれてしまう。
刑事課長は佐藤の名誉のために、この事件は佐藤の息子(青山恭二)の
二人で隠密に捜査するよう命じる。
一方、轢き逃げ事件の被害者を調べて行ったが、病院に残された指紋から
森下と言う男と解った。また市場に流れた佐藤の拳銃は森下が
買っていた。
森下は以前、刑務所に入っていて、前の事件の仲間から狙われたらしい。
森下を追って佐藤親子の追跡が始まる!


益田喜頓・青山恭二の親子刑事の活躍する「刑事物語」シリーズ第4話。
拳銃を盗まれた刑事、という黒沢の「野良犬」依頼の刑事もの伝統の一話。
しかし拳銃を盗まれるのがベテラン刑事ではちょっと間が抜けている。
盗まれたのが息子の方で、父が助けるほうが話として自然な気が・・・・

そして「佐藤刑事の名誉のために」と隠密捜査にしてしまうあたり、
まあ物語としてこっそり捜査しなければならないという佐藤刑事たちの
動きに「枷」をかけたかったのは解るが、昨今の警察の不祥事を目にした
今の感覚では「事件を隠蔽する体質」と非難されかねない設定だった。

全体的に凡庸な退屈な作品だが、面白かったのは聞き込みのシーンかな。
自分から拳銃を盗んだ少年を追って、益田喜頓が少年の行きつけのダンスホールに行く。
少年はいなかったので友達に聞き込みをしようとする。
ところが刑事だとばれて聞き込みにならない。そこへチンピラがやってきて
刑事を外へ追い出し、周りから信用を得て聞き込みをする。
ところがそのチンピラは青山恭二の息子だった、というところ。
ここはちょっと面白かった。



(このページのトップへ)


刑事物語 灰色の暴走


日時 2003年11月16日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 小杉勇
製作 昭和35年

(詳しくはキネ旬データベースで)


深夜、東都信用金庫に金庫やぶりが侵入した。
犯人は4人組でその中の一人富永(待田京介)がバーナーで金庫を壊し
金を奪う荒っぽい手口だ。
早速捜査に取り掛かる警視庁の刑事たち。その中には親子デカの佐藤たち
(益田喜頓、青山恭ニ)もいた。
2年前に起こった金庫破りと手口が似てることから、その一味だった少年・勉
(沢本忠雄)に犯人隠匿の容疑が掛けられる。
犯人たちは逃走するときに一人は警官に撃たれているのだ。
現場も勉の家に近かったことから、佐藤刑事(父)は勉の勤め先のガソリンスタンドに
向かう。

益田喜頓、青山恭ニの親子刑事の活躍する「刑事物語」シリーズ第3作。
50分のSP作品。

青山(息子)刑事の方が階級は上、という設定で、たたき上げの刑事の父と
出世街道の息子が対立しながら父のほうが一枚上、というような刑事ものを
期待したが、それほど面白くもない。
益田喜頓がすっとぼけた味を出しながら捜査を進める、というような面はあまりなく、
喜頓による笑わせ所はほとんど、というか全くなかった。

清川虹子が屋台のラーメン屋の元締めで登場し、ラーメン屋たちに待田京介の写真を
見せ、情報を得るあたりがベテラン刑事としての腕の振るいどころ。
清川虹子が後の貫禄は見せるが、まだそれほどふてぶてしい顔つきには至っていない。

益田喜頓の刑事ものということでちょっと期待したけど、それほどの作品ではなかったです。


(このページのトップへ)


拳銃無頼帖 不敵に笑う男


日時 2003年11月15日
場所 DVD
監督 野口博志
製作 昭和35年

「拳銃無頼帖・不敵に笑う男」についてはは名画座に記載しました。

(このページのトップへ)


ゴジラ対メガロ


日時 2003年11月15日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 福田純
特殊技術 中野昭慶
製作 昭和48年

(詳しくはキネ旬データベースで)


ゴジラ映画低予算時代の作品。

アリューシャン列島のアスカ島での核実験の影響で日本のある湖に地割れが起きる。
主人公・伊吹吾郎達はちょうどその時湖のほとりにいたが、何とか難を逃れる事が
出来た。
伊吹吾郎は電子工学の科学者で自作ロボット・ジェットジャガーの完成は間近だった。
うちへ帰ってきたら何者かが侵入してきていた。
実は彼らは300万年前に海に沈んだレムリア大陸に住んでいた住民が、大陸の
陥没と共に地底に住み着いた地底人だった。
核実験で住処を奪われかけた彼らは怪獣メガロを使って人類に宣戦布告をしてきたのだ。
その為にはジェットジャガーを利用することが不可欠だった。
ジェットジャガーを利用し、メガロで地上を攻撃する。
伊吹達はなんとかジェットジャガーの誘導を妨害し、ゴジラを呼びに行かせる事に
成功する。ゴジラがやってくるまで巨大化したジェットジャガーはメガロと闘う。
やがて地底人は宇宙からガイガンの助けを借りることに成功する。
ゴジラ・ジェットジャガー対メガロ・ガイガンの戦いがはじまる!

前作よりもっと低予算になった感じ。
核実験に怒った地底人が地上に宣戦布告、という「ゴジラ」第1作と「海底軍艦」
ミックスさせたような設定で、往年の東宝SFを期待したがやっぱりそれはないものねだり。

特撮シーンの多くは他作品(「サンダ対ガイラ」「三大怪獣地球最大の決戦」など)
からの使いまわしで、しかもさっき「ゴジラ対ガイガン」を見たばかりだから
さっきも使いまわされていたカットがまた出てきたりして余計に使いまわしが目立つ。
これが「〜ガイガン」と時間をおいて見てればそれほど気にならなかったかも。

またメガロが東京を攻撃するシーンだが、メガロが光線を放つカットのあと地上が
炎上するシーンが続くが、地上が炎上するカットは多分「三大怪獣地球最大の決戦」の
キングギドラの地球攻撃シーンからの使いまわし。
従ってメガロが光線を放つカットだけ新たに撮影し、それに「三大怪獣〜」を編集
したのだろう。

またゴジラと共に闘うジェットジャガーだが、ウルトラマンの影響ありありで、ウルトラマンの
顔を変えてカラーリングを少し派手にした感じ。
魅力なし。
で肝心のゴジラは(80分の映画にも関わらず)戦いはじめるのは1時間をたったあたりから。
それから15分ぐらい4大怪獣(ジェットジャガーは怪獣ではなくロボットだが)の対決が
はじまるが、途中ゴジラとガイガンの対決シーンの中には前作「〜ガイガン」からの
明らかに使いまわしがあった。
(ガイガンの攻撃でゴジラの肩から血が吹き出るところなど)
まあ使いまわしは今にはじまったことではないが、2本続けて見ると目立つのだよ。

なんだか今回は特に使いまわしが気になったなあ。
でもその割には地底人に追いかけられた伊吹吾郎の後輩(自称レーサー)が車で
逃げる時に石段とか45度ぐらいある斜面を駆け下りたり、造成地のプレハブの
建設事務所こわしたりとか余計なところに予算を使っている。

福田純が監督だとどうもアクションドラマに走りがちで、「核実験が原因での人類への
報復」といった東宝SFらしいテーマが薄れがち。
残念。


(このページのトップへ)


地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン


日時 2003年11月15日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 福田純
特殊技術 中野昭慶
製作 昭和47年

(詳しくはキネ旬データベースで)


売れない漫画家・源吾のマンガがマネージャーと称する彼女・トモ子(菱美百合子)
の紹介で建設中の怪獣ランドに採用されることになった。
しかしこの怪獣ランド、事務局長のクボタ(西沢友明)はなんだか怪しそうな奴だし、
会長と称するのはまだ少年なのに高等数学を説いている。
実はこの二人、遠い宇宙のなんとか星雲から住む土地を求めてやってきた宇宙人
だったのだ!
地球侵略を企てキングギドラと新怪獣ガイガンを操り、ゴジラ・アンギラスとの決戦
が始まる!!

僕に言わせればゴジラ映画がさえない頃の作品。
まずノースターってのが寂しい。
こうなると特撮もさぞかしショボイかなと思っていたら、途中のガイガン・キングギドラ
連合軍対ゴジラ・アンギラスの戦いが、火を吹き上げている石油コンビナートで
行われ、この映画の前のゴジラ映画「ゴジラ対ヘドラ」に比べればかなり豪華なつくり。

とはいってもやはりドラマ部分が弱い。
最初の怪獣ランドと源吾のマンガの関係が、「怪獣大戦争」の久保明の町の発明家の
発明が宇宙人の弱点だった、というような伏線はなく、見終わって「何故だったんだろう」
という疑問は残る。
その点を除けばストーリーのアウトラインとしては大きく間違っていない。

ドラマがつまらないというのは、特撮シーンとドラマがシンクロがされていないからだ。
例えばガイガンが暴れる、それに対して防衛隊が攻撃するのだが(過去のライブラリーの
使いまわしは構わないが)現場の指揮官が「攻撃用意!」「撃ち方はじめ!」というような
人物部分のからみがないので、緊迫感、リアル感がないのだ。
ただ勝手に撃ってる感じ。
また同様に戦闘機による攻撃もそう。
防衛隊指令として清水元も登場するが、基地の司令室で「防衛隊、出動!」とマイクに
向かって指示するだけで、活躍がない。
もう少し「こう攻撃されたから、こう反撃する」といった細かい駆け引きがないと。

あとガイガンによる都市の攻撃シーンにしても同様で、逃げ惑う人々の中に主要登場人物が
混じったりしていて、瓦礫につぶされそうになったりすると、ドラマとしての盛り上がりが
増幅するが、ただただガイガンはビルを壊すだけ。
こういったカットバックによるドラマと特撮のミックスがないと怪獣映画は
盛り上がらないと思う。

出演について付け足すのは菱美百合子と村井国夫。
菱美百合子は空手の達人の設定で敵の宇宙人の手下を空手でやっつける事が
2、3回あり、その辺が見せ場かな。しかし全体的には印象に残る活躍はない。
村井国夫は宇宙人に利用されるコンピューター技術者の役。
この映画の中では唯一の東宝伝統の科学者だった。
あと伊福部昭の音楽が東宝特撮らしさを残す。

最後にゴジラとアンギラスについて。
この映画ではゴジラとアンギラスは怪獣島に住んでいるのだが、宇宙怪獣の出現を
察知したゴジラ、アンギラスに偵察に言ってこいと命じる。
このシーンではゴジラのセリフがマンガの吹き出しみたいに画面に登場する。
「おいアンギラス」「何だい、ゴジラ」「偵察に行って来い」「OK!」と
登場する。笑ったよ。
ところが日本に到達したアンギラス、防衛隊の攻撃にあってさっさと上陸を
諦め返ってしまう。何やってんだか。
その後もガイガン攻撃から海を泳いで日本に向かうゴジラたち、「いそげ!」「いそげ!」
と吹きだしが繰り返される。
ご苦労様。なぜかそんな気分になった。


(このページのトップへ)


素ッ裸の年令


日時 2003年11月15日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 鈴木清順
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


赤木圭一郎の初主演作品にして鈴木清順監督の50分強のSP作品。

19歳の健(赤木圭一郎)をリーダーにしたローティーン・グループは
かっぱらったオートバイで、町を走るバイクにスピード競争を仕掛け、
負けた奴から、かつ上げをする日々。
彼らは彼らのグループには女の子もして、それぞれ万引きなどで
稼ぎを上げるが、それらのお金は個人の稼ぎ高に関係なく公平に
分配されるルールを作っていた。
メンバーの一人、サブは貧乏だったが高校への進学を夢見ていていた。
そんな時、彼らの非行がゴシップ新聞に面白おかしく書きたてられていた。
実は健が新聞記者の早船(高原駿雄)にネタを提供していたのだ。
そして健はまもなく迎える二十歳の誕生日を機に彼らのグループから
抜け出そうとしていた。
早船に船員の就職口を紹介してもらう約束だったが、早船はいざとなったら
出来ないと言い出した。
健は大金をつかむため、ヤクザの火薬を大阪に運ぶ仕事を引き受ける。


後の鈴木清順作品のような「わけ解らん映画」ではない。
しかし、かといって収まりのよい娯楽映画でもない。
なんか解ったような解らんような作品なのだ。

ローティーン・グループの携帯は収益を公平に分配する共産社会。
そこへ「売れれば勝ち」という資本主義社会の尖兵のような新聞記者が
近づく。
またサブは「愛と希望の街」の少年のような貧乏生活を送っている。
健は二十歳という大人になることを機にグループを抜け出そうとしている。
資本主義対共産主義、貧乏対金持ち、大人対子供、それぞれの対立軸が
いくつか示されるがなんだかどれが中心となる対立軸なのか
すっきりしない。
少なくとも僕には見えてこない。

ラストは火薬運びで100万円を得た彼らだが、公平に分配せずに
80万円を持ってグループを抜け出そうとする。
サブたちの残ったメンバーは金を取り戻そうと健を追いかけるが
がけっぷちのバイクレースでハンドル操作を誤り、健は崖から墜落してしまう。
彼らの最期を書いた早船の記事が載った新聞はもう大衆から飽きられ
さっぱり売れない。
健の死を契機にローティーン・グループも解散する。

あと左卜全の浮浪者風の老人も登場するが、どうも主人公たちの話と噛み合わず、
とってつけたような印象が残る。
やっぱり鈴木清順の映画だから、無理に解釈しようとする行為そのものが間違いかも。

でも何か社会的なテーマを暗喩してるような気もするし、かといってそれが
すっきり見えてこないし、観終わった後、ものすごい消化不良感が残った。


(このページのトップへ)


拳銃0号


日時 2003年11月10日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 山崎徳次郎

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


昭和34年製作の日活のSP作品。
「私の名はコルト拳銃0号」というような小沢昭一のナレーションから始まる物語。
(登場する拳銃はコルトではなくFNブローニングなのだが)
岡田真澄扮する外人が羽田空港からホテルに向かう。
彼は護身用に拳銃を持ってきたのだが、その拳銃はホテルで誤って捨てられてしまう。
そしてその拳銃が人から人へわたっていき、拳銃を手にした人々を
オムニバス形式で描いていく。

なんとなく面白そうな感じもするが、面白くない。
それは出てくるエピソードが大して面白い話でもなく、とってつけたような
バラバラのショートストーリーをつなげただけな感じなのだ。

にもかかわらず、このSPが今でも生き残っているのは伝説のスター、
赤木圭一郎が最初に役らしい役をもらった作品だからだ。
(それ以前の作品では「紅の翼」や「嵐を呼ぶ友情」にエキストラ的に
出演はしている)
長年、伝説のスターとして語り継がれている赤木だが、死んだのは昭和36年2月
初の主演作が昭和35年だから、なんとたった1年余りしか活躍していない。

赤木と言う男についてかたるのはまた別の機会に譲るが、この「拳銃0号」での
役は、「何か面白いことはないか」と言ってるところへ偶然、拳銃を手に
してしまうチンピラ、というか不良。(当時の言葉で言えば「アプレ」か)
で拳銃を手にしたら、「ちょっと撃ってみるか、スカッとするぜ!」と
ばかりに女の子をつれて渋谷の東急文化会館(2003年閉館)の
屋上から地上に向かって拳銃をぶっ放す。
幸い怪我人はなかったが、後のヒーローぶりとは考えられない役柄だ。

そのあと、浜村純の貧乏楽士が手にして、貧乏に悲観して自殺を図ろうと
したりするが、思いとどまり、拳銃は太陽族(?)の今で言う合コンパーティーへ。
このパーティーはかなり危ない感じで、最初はゴーゴーかなんか踊っていたのだが、
やがて深夜になると会場の明かりは消され、多数の男女がキスしながら雑魚寝を
するという今見ても進んだパーティーになる。
鈴木英夫の「燈台」にもこういったきわどいパーティーが登場したが、
当時からやっぱり若者はやっていたのだ。
それともこれは映画中のデフォルメされた姿だったのだろうか?

その中でも面白かったのは宍戸錠が登場する最初のエピソード。
やくざから足を洗おうとしている待田京介を引き止める組の一員として
宍戸錠登場。
ロシアンルーレット風に(オートマティック拳銃なのだが)空砲3発に
実包1発をマガジンにランダムにセットする。
で順々に引き金を引いていき、3発続けて空砲だったら組を抜けさせてやる
というシーン。
まだ渡り鳥シリーズの始まる前だが、このころから「粋な敵役、殺し屋ジョー」
の原形が見受けられる。
最後に川地民夫が結婚を許されずに心中を考える男女として登場。

結局、岡田真澄、待田京介、宍戸錠、赤木圭一郎、川地民夫、安部徹、
浜村純、小沢昭一(声のみ)などが登場し、SPの割には豪華な顔ぶれ。
もっともこれ以降、彼らはスターになっていったと言ったほうが
正しいのかも知れないが。

(このページのトップへ)

リング・ウイルス


日時 2003年11月8日10:30〜
場所 シアター・コクーン
監督 キム・ドンビン

(東京国際映画祭公式HPへ)


日本製ホラー作品の韓国でのリメイク版。
「東京国際映画祭」の特集の一つ「アジアの風」の中での上映。
実は今日は別の映画(「ハードラックヒーロー」)の当日券を買いに
朝からシアターコクーンに行ったのだが、そちらはもう完売で入手できず、
手ぶらで帰るのもなんだから、という理由で上映開始寸前に衝動的に見た。
ホラーは苦手な私だが、去年アメリカ版は見てるので、それほど恐くない事は
知ってるし、どのように映画化されたのか興味もあったから。

実は本家の日本版は未だ見ていないのだがら、アメリカ版との比較になるという
本末転倒な感想なのだが、内容はほとんど一緒だった。
内容は大体知っているので別に恐くない。

設定上の違いは主人公の子供が男の子から女の子に変わってる点と一緒に謎を
追求するのが元の夫ではなく最初の変死の解剖所見を書いた医師という点かな。

アメリカ版では「ビデオテープに本来あるはずのタイムスタンプみたいなのがない」
とか理詰めなのだが、こちらでは解剖医の「時々瞬きのようなちらつきがある。きっと
これは念写に違いない」と直感的に話は進められ、超能力者を探っていって
いわゆる「貞子」にたどり着く。
(アメリカ人はどうも理屈にこだわるらしい)

そしてラスト、コピーして誰かに見せるというところ、実家に子供を預けて
いたのでダビングできるようビデオデッキをもって主人公は車を走らせる。
その画面に「あるビデオを見て欲しいの。子供のためにも見てやって」と
電話で語る声がオーバーラップする。
年上を敬う儒教の国、韓国では親を犠牲にしてしまうというのはちょっと
ショッキングではなかったのか?

それにしても「リング」という作品はあちこちで映画化されるなあ。
ラベルのないビデオテープ、何が写ってるか解らないドキドキ感は世界共通なのだなあ。
確かにこれが「読んだら一週間後に死ぬ」という「呪いの本」では話になりにくい。
本というのはとばし読みも出来るし、逆にコピーもしにくいし。

正しく現代の怪談。
そのうちにタイとかインドとか別の国でまた映画化されるかも知れない。

(このページのトップへ)


ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS


日時 2003年11月3日12:30〜
場所 オーチャードホール
監督 手塚昌明

(公式HPへ)

(東京国際映画祭公式HPへ)


ゴジラ映画史上の最高級作品。
一言で言えば「ゴジラ版ブラックホーク・ダウン」とも言うべき
ノンストップ戦闘アクション。

ゴジラ対機龍(メカゴジラ)の対決から一年。
特自は機龍の修理に追われる日々だった。
そんな時、機龍整備士の中條(金子昇)の叔父、言語学者の中條(小泉博)の元に
小美人がやってくる。
彼女たちはゴジラのDNAを使ったメカゴジラの使用を止めるよう懇願する。
防衛庁、政府も中條の言い分に理解を示したが、今メカゴジラを手放したら
もしゴジラが再び東京に現われた時の対策が無くなる。
そんな時、ゴジラはいよいよお台場に上陸した!

最初の30分はほとんどドラマだけ。
最近のゴジラ映画では15分以内にゴジラがちょっと上陸して暴れるのだが
今回はそれがない。
退屈さを実は感じていたところへついにゴジラ上陸。
これから後半1時間はゴジラ、モスラ、メカゴジラの一夜一回の大決戦が
繰り広げられる!
ゴジラ映画史上、もっとも長い闘いの始まりだ。

ゴジラ対モスラ、ゴジラ対メカゴジラ、モスラの幼虫(しかも双子!)
のそれぞれの対決。
倒壊する東京タワー、国会議事堂。
途中破壊されたメカゴジラの修理に向かう中條のバイクアクション、
(こういった大きな対決と小さなアクションの組み合わせは必要)
そして後半、機龍から脱出できなくなった中條、迎える壮絶なエンディングと
見る者をひきつけてやまない。

昨年の「ゴジラ×メカゴジラ」がゴジラ映画のベスト3に入れていいと
言ったが撤回。
今回のゴジラと入れ替えたい。

一夜の大決戦という構成はローランド・エメリッヒの「GODZILLA」でやったが
日本人は「あれはゴジラじゃない」とそればかりにこだわって
あの作品の評価をしようとしなかった。
しかし手塚監督はあのエメリッヒ版の面白さをわかっていたようだ。
日本でもゴジラの1時間に及ぶ大決戦をやってのけたのだ!

欲を言えば途中で雨が降り、雨中の大決戦やモスラの孵化シーンも
やって欲しかった。
でもそれはちょっと欲張りすぎかなあ。
(蛇足ながら一言、「ガメーバ」って言うのはちょっとやりすぎだな。)


(このページのトップへ)


木更津キャッツアイ・日本シリーズ


日時 2003年11月3日9:10〜
場所 渋谷シネマライズ1
監督 金子文紀
脚本 宮藤官九郎

(公式HPへ)


はじめに言っておくが面白かった。
TVシリーズの第1回を見た感想(「合羽坂少年探偵団〜DAILY V6
2002年1月18日参照
)で「とんでもない名作になるかも知れない」と書いた
私だが、それは予想通りとなった。
先見の明があることをここではっきり改めて書いておきたい。
(ちょっと、つーかかなり自慢←ここんとこぶっさん風)

この映画版もTVと同じキャスト、スタッフで作られ期待にたがわぬ作品となっている。
詳しいストーリーなどはここでは省略。
ストーリーを書いてもこの映画の面白さは伝わらない。

以下ネタバレ多数含まれているので、知りたくない方はここからは
映画を見てからお読みください。

まず笑ったのはオープニング。
なんと30年後のキャッツアイの面々が登場。
バンビが中尾彬で、マスターが渡辺哲、アニが岩松了、うっちーが渡辺いっけい、
そこへぶっさんそっくりのピザデリバリーボーイ(岡田准一)が登場する。
そして話は現代に戻って、オジーが木更津の海にたどり着き、バンビは
今年もミスター木更津に選ばれて、ぶっさんは哀川翔の映画を見てるときに
韓国人女性と知り合って・・・・・・・

とまあファンにはたまらない楽しさが続く。
それを承知の上でいくつか不満点を書いておきたい。

1、TVシリーズを見ていないとさっぱり解らない。
TVシリーズの映画化の宿命ともいえるが、今回は登場人物や人間関係の
説明などは一切省いて、ズバッと「木更津ワールド」に突入する。
それがよかったか悪かったか?
僕のようにTVシリーズから見てる人はいいけど、見てない人はいきなり登場する
「やっさいもっさい」に思わず「?」状態ではなかろうか?
もちろん製作者側も悩んでのこととは思うけど。
しかしお金を払ってまでこの映画を見に来るようなファンにはそれでいいかも。
テレビスペシャル版とかにしちゃうと妙に解りやすく作ってしまうから
「中身の濃い木更津ワールド」は作り出せなかったかも??

2、オジーの復活
TVシリーズ第6話で死んだオジーだが、それが復活する!というので
どう復活させるか気になったが、この復活のさせ方はどうか?
結局ニセモノだったんだからなあ。
私は真相がばれた時ガッカリした。
いっそ猫田が言っていたように「昆布みたいに海に入って戻ったんじゃない?」
で押し切ってくれたほうがよかった。
ぶっさんだってなかなか死なないんだしさ。

3、後半やりすぎ
南の島にロケしたのは雑誌等のレポで知っていたけど、こういう形になったのか。
ちょっとのりすぎな感じ。
木更津キャッツアイはやっぱり木更津で完結して欲しいなと。
せいぜい東京に出るくらいにして欲しかった。
よく映画のシリーズもので海外ロケを行っちゃう作品があるでしょ。
あれと一緒でちょっと行き過ぎな感じがして。
さらにラストの展開、怪獣ゴミンゴが「ゴーストバスターズ」のマシュマロマンみたいに
なって登場する。
これもやりすぎ。少なくとも私はテンションが下がった。

4、アニの弟が出てこない
実はアニの弟を今をときめく成宮寛貴が演じていたのを最近知ったのだ。
折角だからここはワンカットでいいから出演して欲しかった。
そしてアニの本名も明かされるのだが、これも永遠に謎のままの方がよく、
「俺の本名知らねーだろ!」とアニに言わせつづけるほうが私は好きだ。

以上、不満点をつらつら書いたが、本当は大いに笑った。
満足できた。
ライトな名作青春コメディ。
岡田准一や桜井翔は代表作を手に入れた。
それは間違いない。


(このページのトップへ)


怒れるドラゴン/不死身の四天王


日時 2003年11月3日18:50〜
場所 新宿ミラノ座
監督 ジミー・ウォング
製作 1973年

(「東京ファンタスティック映画祭」公式HPへ)


「片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン」に引き続き上映。
実を言うと僕はあんまりカンフー映画には詳しくない。
70年代のブルース・リーブームの時に2、3本みたぐらいではないか?
何故見ていないかと言うと単純に「つまらなかったから」。
「空飛ぶギロチン」は面白かったが、あれは例外。
この「不死身の四天王」は当時見た「つまらないカンフー映画」と
同じレベルだった。

ある田舎町の実力者スーは実は盗賊から盗品を買い取る悪者。
ある日盗賊が輸送中の宝石を襲い、警備の男たちを殺す。
一人生き残ったサムは町にたどり着く。
その町ではかつての師ウーが酒びたりになって住んでいた。
そしていかさま賭博師シャオ(ジミー・ウォング)は裏家業の匂いを
嗅ぎ取る。そしてスーの用心棒、日本人のチンはシャオやサムを
倒そうとする。
警察官(?)のフーに助けられたシャオやサムはフーやウーと
共に悪の権化、スーとチンを倒すために戦う!

こんな感じのお話。
つまらない理由はキャラクターがまず弱い。
カンフーで闘うだけなのでやっぱり闘いのパターンが限られどうしても
見飽きてしまう。そこで「空飛ぶギロチン」は各キャラクターが
特徴が際立っていたが、今回はみんな似たような感じだし。

そして(単純に私がバカなのだが)香港映画に出てくるキャラクターって
服装も顔もなんとなく似ているように見え、誰が誰だかわからなくなる。
上記のストーリーもパンフレットを参照しながらやっと書いたようなものだ。

そんな中でも強いて面白かったところは、日本人の用心棒、チン。
「変な日本人だ」などと非難してはいけない。
きっと中国の武闘家だってこの映画に登場するような奴はいないだろうから。

このチンさん、怒りが沸騰し、相手を倒そうとするときに懐から
「武」と書いた扇子を取り出し、バッと広げる。
そしてその扇子をビリビリと破いて、それが合図となって部下たち(虚無僧の
ような笠をかぶっている)が襲いかかる。
そして相手が倒れたあと再び懐から扇子を取り出すのだ。
それを映画の中で5、6回はやったと思う。
後半になると観客も扇子を取り出すところで軽い笑いが起こった。

でもまあそこぐらいかな、面白かったのは。
観客の笑い、拍手なども「空飛ぶギロチン」より少なく、明らかにテンションは低い。
でも「空飛ぶギロチン」を見たあとハ大抵のカンフー映画はつまらないだろうなあ。


(このページのトップへ)


片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン


日時 2003年11月2日15:30〜
場所 新宿ミラノ座
監督 ジミー・ウォング
製作 1976年

(「東京ファンタスティック映画祭」公式HPへ)


「東京ファンタスティック映画祭企画 映画秘宝スペシャル ギロチン祭り」
での上映。
実は昨日まで見るつもりはなかったのだが、「東京原発」での映画祭独特の
盛り上がりの熱気に当てられ、つい見る気になって当日券での参戦。
この映画、この秋の話題作「キル・ビル」の元ネタ映画の一つとして再び
脚光を浴びた作品。実にタイムリーな上映。

ジミー・ウォングという人は70年代のブルース・リー映画の世界的ヒットで
降って沸いた香港映画、カンフー映画ブームにより、緊急輸入された映画のB級スター
というイメージが強く、僕の中ではあまり印象が薄かったのだが、
この作品、サービス精神満点でなかなかどうして面白い。

お話は実に単純。というか脚本はあってないに等しい。
「清朝の時代、清政府に対して反感を持つ人々も多かった。そんな人々の代表が
片腕ドラゴン(ジミー・ウォング)。清朝は刺客として盲目でありながら鎖の先に
刃のついた玉(通称・空飛ぶギロチン)を振り回す怪僧を送り込む。
ジミー・ウォングの住む町では異種格闘技大会が開かれ内外の武闘家が火花を散らす。
その中に片腕ドラゴンもいるとにらんだギロチン僧は大会に乱入する。
この大会での対決はかなわなかったが、ついに片腕ドラゴンと空飛ぶギロチンの
決戦が行われる!」
というもの。

前半は異種格闘技戦を詳しく見せ、怪しげな日本人の無刀流(なんだそれ?)
の剣士や、腕が伸びて相手を倒すインド人とかキックが特異なムエタイ流の
タイ人とか強烈なキャラクター爆発!
彼らの卑怯とか「そんなのあり?」と言いたくなるような数々の対決は
見てる観客ものりにのって爆笑、喝采の連続だ。
いやー楽しい。

後半は片腕ドラゴンと空飛ぶギロチン対決。
敵のギロチンを破る方法を思いついた片腕ドラゴン。
それは竹が斧の刃さえも刃こぼれさせてしまう事。
相手が盲目なのをいい事に、対決が始まると竹を無数に立てた所に
逃げ込み、飛んできたギロチンを竹を使って刃こぼれさせてしまうのだ。
今度は仕掛けを施した小屋に誘い込み数々の仕掛けで相手を追い詰めてしまう。

脚本はあってないとかいたけど、それはストーリーは単純だという意味。
その代わりディテールの練り上げ方は素晴らしい。
格闘家たちの数々の対決の面白さとか、ギロチンを攻略する方法とか
仕掛けを施した部屋とかこの辺の細部のアイデアは本当に面白い。
「あっそんな手が!」と思わせ続けること請け合い。

香港カンフー映画史上の最高級作品と言っていいのではないだろうか?


この後イベントとしてジミーウォング氏の舞台あいさつ。
場内大喝采!
「片腕ドラゴンシリーズ」は右腕を隠すのにシーンによって前だったり後ろだったり
したんだが、特に後ろに隠した時が体のバランスが取りづらくて大変だった、
と語っていました。
それより何より、驚いたのはとに角お元気な事!とても60歳を超えているようには
見えない。
今でも体のトレーニングは続けてるそうで、また映画出演してアクションもこなせそう
そう思わせるぐらいの感じでしたね。
いつまでもお元気で!

(なお舞台あいさつの詳しい模様は公式HPの「レポート」の11月2日分で
詳しくご覧いただけます)

(このページのトップへ)


大脱走


日時 2003年11月2日11:30〜
場所 新宿ミラノ座
監督 ジョン・スタージェス
製作 1963年

「大脱走」については名画座に記載しました。

(このページのトップへ)


東京原発


日時 2003年11月1日18:30〜
場所 新宿ミラノ座
監督 山川元

(「東京ファンタスティック映画祭」公式HPへ)


1年以上前に完成していたにも関わらず公開が遅れているこの作品。
僕にとっては幻の映画になりかけていたが、今回このファンタスティック
映画祭で上映されると知り、駆けつける。

天馬東京都知事(役所広司)は都の財政、環境、広報などの各セクションの
責任者、副知事(岸辺一徳、田山涼成、段田安則、吉田日出子、平田満など)を
集め緊急会議を招集する。
その席で都知事は財政再建政策のため、東京に原発を誘致すると宣言する。
原発を誘致すれば国から補助金が下りる、電力コストも下がり電気代は安くなり、
それが企業の利益につながり税収もアップする。
それは景気回復につながり失業率も改善される。まさにいいことづくめ!
でもそれって本当?
不安視するメンバーは原発の専門家の東大教授(綾田俊樹)を呼び、その危険性に
ついて大激論が始まる!
しかしその一方で東京に陸揚げされた核燃料が、トラックで福井県に輸送される
計画が進行していた!!


皆さんは「都知事が『東京に原発を誘致する』と宣言する事から始まる
ブラックコメディ」と聞いてどんな作品を想像されるだろうか?
そして本作はその想像を裏切らない作品!

あまり詳しく書くと(まして公開前なので)作品を観たときに興ざめされるので
書かないけど、多分皆さんが原発について普段から思ってるちょっとした疑問にも
答えてくれて、見終わった後にはあなたもちょっとした「原発博士」。

現代日本の代表的な名優、怪優、珍優らが入り乱れてのディスカッションは
面白いの一言。場内は爆笑の連続。
大島渚の「絞死刑」、キューブリックの「博士の異常な愛情」に並ぶディスカッション
ブラックコメディ。

また後半は輸送中の核燃料が原因で「あわや!」という所に追い詰められる面白さ。
この後半が現代日本の核に対する「今そこにある危機」を象徴するエピソードと
なっている。

ラストの段田安則と役所広司の会話がいい。
そう、この国の一番の問題は政治家や官僚ではなく、国民の「無関心」なのだ。

舞台あいさつも行われ、山川監督、役所広司、田山涼成、段田安則、吉田日出子、
綾田俊樹、徳井優らの出演。
中でも田山涼成さんの「この映画にはCGはありません。アイドルも出ません。
セックスシーンありません。でも!面白いんです!!」のあいさつが嬉しい。
全く同感だ!

お薦め!


(なお舞台あいさつの詳しい模様は公式HPの「レポート」の11月1日分で
詳しくご覧いただけます)

(このページのトップへ)